のが、だんだん苦痛になって来ていた。
手探りで枳《からたち》の門を潜ると、家の中は真暗で、台所の三和土《たたき》の上には、七輪の炭火だけが目玉のように明るく燃えていた。
「どこへ行っていたんだ?」
「私、ねえ……お米が無かったから、通りへ行っていたのよ」
「米を買いに? なぜそう早く云わないんだ。もう動けないよッ」
与一は大の字にでも寝ているらしく、そういいながら、転々と畳をころがっているようなけはいがしている。
「早くそう云うつもりで云いそびれたのよ、……すぐ焚《た》けるからねえ」
「うん、――あのね、何も遠慮する事はないんだよ。金が無かったら無いようにハッキリ云いたまえ。ハッキリと云えばいいンだ。……俺は明日上野の博覧会にでも廻ってみよう。ペンキ屋の仕事のこぼれが少しはあるだろうと思うンだ。働かないで絵を描いて行こうなんて虫が良すぎる。そうだよ! 芸術だの、絵だのって、個人の慰みもンだアね、俺なんかペンキで夏のパノラマでも描いて、田舎の爺《じい》さん婆《ばあ》さんに見てもらった方が相当なンかも知れないよ、それが似合っているんだ」
「あなた、私を叱っているんですか?」
「叱って。叱ってなんかいないよ、だから厭《いや》なんだ、君はひねくれ[#「ひねくれ」に傍点]ない方がいい。――僕が君に云ったのは貧乏人はあんまり物事をアイマイにするもンじゃないと云う事だ。遠慮なんか蹴飛ばしてハッキリと、誰にだって要求すればいいじゃないかッ! ヒクツな考えは自分を堕落《だらく》させるからね」
米を洗っていると泪が溢れた。
卑屈《ひくつ》になるなと云った男の言葉がどしん[#「どしん」に傍点]と胸にこたえてきて、いままでの貞女《ていじょ》のような私の虚勢《きょせい》が、ガラガラと惨《みじ》めに壊れて行った。
与一はあらゆるものへ絶望を感じている今の状態から自分を引きずり上げるかのような、まるで、笞のようにピシピシした声で叫《さけ》んだ。
「今時、溺《おぼ》れるものが無ければ生きて行けないなんて、ゼイタクな気持ちは清算しなければいけないんだ。全く食えないんだから……」
「食わなくったって、溺れていた方がいいじゃないの……」
「君はいったい何日位飢える修養が積ンであるのかね、まさか一年も続くまい」
八
清朗な日が続いた。
井戸端《いどばた》に植えておいた三ツ葉の根
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