#「あまく」に傍点]なってゆく。
 私は塩たれたメリンスの帯の結びめに、庖丁《ほうちょう》や金火箸《かなひばし》や、大根|擂《す》り、露杓子《つゆじゃくし》のような、非遊離的《ひゆうりてき》な諸道具の一切《いっさい》を挟《はさ》んだ。また、私の懐《ふところ》の中には箸や手鏡や、五銭で二切の鮭《さけ》の切身なんぞが新聞紙に包まれてひそんでいる。
「そんなにゴタゴタしないで、風呂敷へでも包んでしまえよ」
「ええでもこうやって、馬穴《バケツ》をさげて行こうかと思っているのよ」
 私達が初めて所帯を持った二階借りの家から、その引越し先の屋敷跡へは、道程から云うと、五丁ばかりもあったであろう。その僅《わず》か五丁もの道の間には、火葬場《かそうば》や大根畑や、墓や杉《すぎ》の森を突切《つっき》らない事には、大変な廻《まわ》り道になるので、私達は引越しの代を倹約《けんやく》するためにも、その近い道を通って僅かな荷物を一ツ一ツ運ぶ事にした。荷物と云っても、ビール箱《ばこ》で造った茶碗《ちゃわん》入れと腰《こし》の高いガタガタの卓子《テーブル》と、蒲団《ふとん》に風呂敷包みに、与一の絵の道具とこのような類《たぐい》であった。
 蒲団はもちろん私のもので、これは別れた男達の時代にはなかったものである。浴衣《ゆかた》のつぎはぎで出来た蒲団ではあったが、――母はこの蒲団を送ってくれるについて枕《まくら》は一ツでよいかと聞いてよこした。私は母にだけは、三人目の男の履歴《りれき》について、少しばかり私の意見を述べて書き送ってあったので、母は「ほんにこの娘《むすめ》はまた、男さんが違《ちご》うてのう」そのように腹の中では悲しがっていたのであろうが、心を取りなおして気を利《き》かせてくれたのであろう、「枕は一ツでよいのか」と、書いてよこした。私は蒲団の中から出た母の手紙を見ると何ほどか恥ずかしい思いであった。上流の人達と云うものは、恥ずかしいと云う観念が薄いと云う事を聞いているけれど――母親であるゆえ、下《しも》ざまの者だから、なおさら恥ずかしいと思うまいと心がけても、枕の事は、今までに送ってもらっているとするならば、私はもう三ツ新しい枕を男のためにねだ[#「ねだ」に傍点]っている事になる。そう考えてゆくと、ジンとするほどな、悲しい恥ずかしさが湧《わ》いて来た。
 そのころ、与一は木綿《もめん》の
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