れない事があつた。そんな晩は、いまゝで考へても見なかつた、甘い虹のやうなおもひが胸のなかへぱアと明るく射しこんできて、工藤の顏や手足がばらばらと降つて來るやうな慘酷な空想をしたりした。女の生涯にとつて、男を知るぐらゐ此世に不思議なことがまたとあるであらうか……。もんは、無神論者でもなかつたけれど、工藤を知つてから、初めて、この廣々した人間世間の神秘を知つたやうで、誰にともなくうやうやしく祈る氣持が湧くのであつた。草一莖、土のひとくれにももんは神々しいものを感じた。工藤からたよりが來なくなりもんはだんだん焦々して來たけれど、或日ぶらりと遊びに來てゐた守一が、姉の淋しそうな姿を見て、「一人でくよくよ考へてゐたつてはじまりませんよ。工藤さんももう氣がかはつてしまつてゐるのかもわかりませんね。――姉さんは、案外世間みずで、つまらない生活をしてゐると思ひますよ。昔のひとは男も女も偉らかつたンだなと思ふンだけど、萬葉のなかの女のひとの歌に、戀草を力車に七車、積みて戀ふらく吾心わも、と云ふのがあるンだけど、いまの女のひとたちには、このこゝろの萬分の一の激しい熱情もありませんね。何だの彼だのつて云ふけ
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