一君もそのうち出征して行くでせうが、もんさんも、あとに殘つて、お父さんを大切にして上げて下さい。僕は親不幸ばかりしてゐます。これから中野の友人のところへ行つて泊りますよ」もんは握手をしかけた工藤の手を離して、すぐ部屋へ戻つて行つた。守一がもんの寢床を敷いてゐた。「工藤君も變りましたね」「えゝ何だかとても淋しさうね。私の罰だなンて厭な事だけれど、でも、女のひとの愛情をあれだけ身に沁みて感じてゐるの、少しは判つていゝ氣味よ」守一は何の事だかわからなかつたけれど、いゝ氣味よと云つた姉の言葉を射すやうに感じた。
それから、一週間もしないうちに召集令が下り、守一はいよいよ出征する事になつたけれど、人の風評によれば、工藤もまた召集令が來て出征するのだと云ふことだつた。もんは、あぶない淵に沈んでゐるやうな、莫々とした暮しのなかにある工藤に召集令が來たことは丁度よかつたと思つた。工藤からは何とも云つては來なかつた。守一を送りがてら仙臺行きの汽車に乘つて、もんは椅子へ腰をかけると、もう、これで工藤とも久しく逢へないだらうと思つた。走る汽車の中で考へる工藤の思ひ出はやつぱりなつかしくきれいなものである。
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