ドレスを書いた名刺をことづけて宿へ戻つた。もんは食事もしないで暗い部屋で早くから眠つた。リノリユームを敷きつめた廊下をしじゆう大きい靴の音や、男の太い聲が行き來してゐた。高い天井近くに青ガラスの窓が一つあつた。置床にはがさつな鏡臺が一つあるきりの部屋である。もんは寢ながらくれてゆく窓を見てゐた。自分が莫迦だつたと思つた。人倫の道と云ふのはこんなものだつたのかと、ふうつと溜息をつきながら枕をつかんでゐた。工藤は自分と云ふ女の躯をみんなよく知つてゐるはずだのに、どうしてよその女のひとと、平氣で暮してゐられるのか少しもわからないのである。いまさら、工藤を深くうらむ氣持にもなれなかつたけれども、あんまり、自分の間拔けさがめだつてきて肚にをさまらない氣持だつた。父と弟へは着いたといふ電報だけ打つた。
翌日、工藤が薄色のついた眼鏡をかけてもんをたづねて來た。工藤は默つたまゝ疊へ寢ころがつて眼鏡をはづした。もんが、どうしてくはしく書いた手紙をよこさなかつたのですか、そしたら、私も來るのではなかつたのだと話すと、工藤は毎日疲れて、社の用事以外は字一つ書く氣がしなかつたのだと云つた。「ずつと以前から御
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