小さい花
林芙美子

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 1 ずゐぶん遠いむかしの話だけれど、由はうどんやの女中をした事がありました。短いあひだではありましたが、はじめての奉公なので、これがお前の寝るところだと云はれた暗い納戸のやうな部屋へ這入りますと、いつぺんに涙が噴きあげて体がちつとも動かないのです。
 そのうどんやは尾道と云ふ港町から船に乗つて小一時間位ありました。みんな「いんのしま」と云つてをりましたので、由は「犬の島」とでも書くのかと思つてをりましたところ、買つて貰つた切符には「因ノ島」と書いてありました。由は此島で短いながら淋しい三週間を過しました。
 バスケツトや行李のやうな高価なものは買つて貰へなかつたので、由の持ちものと云へば、襯衣の空箱に一二枚の着替へのものと、白いハガキが四五枚、それに馬琴の弓張月と云ふ、青く古ぼけた本とそれきりで、うどん粉の匂ひのする化粧水のやうなものも一本持つてゐたやうです。幼いうちにはしかを病んで顔にそばかすがありましたので、由の母親は「海
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