絹子は前の親子を眺めてゐるのは愉しかつた。
 眠つてゐた良人は、眼をつぶつたままの姿で、ぽけつとから鼻紙を出すと、大きい音をさせて鼻をかんだ。鼻をかんでからも、丁寧に鼻を拭いて、その鼻紙を眼をつぶつたまま自分の膝のところへ持つてゆくと、横あひから肥えた妻君が逞しい腕を子供の膝ごしににゆつと突き出してその鼻紙を取つて自分の袂へ入れてしまつた。
 絹子はまるで、自分がした事を人に見られてでもゐるかのやうに赧くなりながら微笑してゐた。御主人は、鼻紙を妻君に渡してしまふと、また、手を膝の上へだらりとさげてよく眠つてゐる。子供達は走つてゆく窓外を眺めながら、きやつきやつとふざけあつてゐた。太つた妻君は股を開いたままの姿勢で、如何にも、三人の子供の母らしい貫禄をみせて悠々としてゐた。
 絹子はふつと、信一の方へ首を向けた。明るい世間へ出ると、何かに卑下してしまつてゐる、そんな淋し気な信一の姿を見ると、絹子は、自分の眼の前にゐる奥さんのやうに、雄々しく信一をかばつて、これからも末長く生活してゆかなければならないと思ふのであつた。この信一を捨てていつてしまつた女のひとへ激しく報いる為にも‥‥。
 絹子
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