もじ屋へ寄つてかもじを受取つたけれど、金が足りなかつたので甲斐子の名刺を置いて送つてもらふつもりでゐたが、いつの間にか甲斐子の澤山の名刺をおとしてしまつてゐるのであつた。ミルクホールでおとしたかも知れないとつゆは殘念におもつた。つゆは自分のゐる處を、何區と云ふ事もおぼえてゐなかつたし、まして番地も知らないのである。たゞしもれんじやく[#「しもれんじやく」に傍点]まちと云ふところだけを覺えてゐるきりだつた。かもじを送つて貰ふことも出來ずに、つゆは地下鐵に行つたけれど、もう、疲れてもうろうとしてしまつてゐる。つゆは、神田の方へ上つて行つたり、澁谷の方へ行つたりして、方々を迷ひながら、十二時頃、這ふやうにして、吉祥寺の奧の下連雀の家へ歸つて來た。つゆは、もう、ものを云ふのも厭であつた。甲斐子は二階から降りて來るとつゆをがみがみ叱り始めた。「心配をするぢやありませんかツ! いまごろまで何處を歩いてゐたンです、いゝ年をして‥‥」つゆは怒つてゐる娘を呆んやり眺めてゐたが、子供のやうに泣きながら、廊下へ坐つて小用をもらしてゐた。
鷺の歌
夜霧の深い晩であつた。
音樂會がはてて暗い神宮外苑を伊津子はバスの停留所の方ヘ音樂會歸りの人たちにまじつて歩いてゐた。戀と云ふ、もだへのうちにさてはまた、なにごとを思ふともなく爲《す》ともなき、いたづらのすさびの中に經《ふ》とぞいふ‥‥さつきの獨唱がまだ頭の芯にこびりついてゐる。伊津子は外套の襟をたてて歩いてゐたが、夜霧のせゐか、バスの停留場へ來ても、急いで家へ歸りたい氣持がしなかつた。
夜霧の向ふから、白い馬が飛んで來るやうな、何かしらちらちらしたものが伊津子の眼にみえる。自動車が二臺ほど伊津子の眼の前をすぎて行つた。伊津子はバスに乘つて新宿へ出て行つたけれど、家へは少しもかへりたくなくて、夜更けた新宿の街を歩いた。晨に出發して、夕べにやぶれる徘徊の氣持が、伊津子に嘔吐をもよほさせさうだつた。歩いても歩いても何もない道でありながら、伊津子はたゞ默々と寒い道を歩いてゐた。新宿驛の交番では女の醉つぱらひが、交番の入口に腰をかけて泣いてゐた。人が黒山のやうに交番をのぞいてゐる。伊津子も群集の中に混つてのぞいてみたけれど、もう四十位の女で、紺飛白のうはつぱりを着てきたない手拭で涙を拭いてゐた。群集のまちまちな話をきくと、誰かが出征をして行つて祝ひ酒をのみ、醉つぱらつて、電車道に寢込んでゐたのだと云つてゐた。時々、若い巡査は、何べん厄介をかけるのだ、祝ひ酒だの何だのと嘘を云つては、お前は時々往來で寢てゐるではないかと叱つてゐた。群集は笑つた。群集が笑ふと、醉つぱらひの女は手拭を顏からはなして怒つた。伊津子は見世物ではないぞと叫んでゐる醉つぱらひの女の顏がいたいたしくて、すぐそこから離れて驛へ這入つて行つたけれど、明るい驛の中には、スキーを持つた學生たちや奉公袋をぶらさげた出征者の群や、職工や學生や女の群が驛の中にごつたかへしてゐるのを見て、伊津子は養鷄場の鷄舍のなかを眺めてゐるやうな氣持である。その群集の中には、自分によく似た女もゐた。狂人になつて果てる、モオーパッサンの晩年の小説のなかだつたかに、自分と同じ人間と散歩をしたり會話をしたりする作品があつたけれど、伊津子は自分にも、時々そんな錯覺のあることを感じる時がある。切符賣場で、自分によく似た女が切符を賣つてゐた。伊津子が何も云はないのに、その女は伊津子の目的地の切符をくれた。伊津子はしばらく窓口の女の顏をみつめてゐたけれど、伊津子は膏汗の出るやうな苦しいおもひを我慢してそこをはなれて行つたのだ。――伊津子はたつたこの間、十年ぶりで本當の父親に逢ひに行つてきた。父は半分狂人のやうな状態で寢てゐたけれど、伊津子が枕元に坐るなり、汚れた株劵を出して、これをやるから俺を大切にしてくれと云ふのである。伊津子は鼻をつままれたやうな氣持であつた。父はまたこんなことを云つた。お前とお母さんを捨ててから俺は色々な仕事をした。子供は一人も出來なかつたが、金は相當出來た。お前にいくらでもやりたいのだが、お前は今日からでも俺のそばへ來て、俺を大切にしてくれぬかと云ふのである。九州の父の家は立派な家であつた。若い父の細君は藝者をしてゐた女だとかで、父の枕元で煙草ばかりふかしてゐる。伊津子は鹽水港製糖の十株劵を二枚貰つて東京へ戻つて來た。その株劵を賣れば二千圓近くにはなると云ふことである。伊津子はまるで鬼火につかれたやうに、落ちつかない氣持であつた。あの状態では父は近いうちに亡くなるかも知れない。父はどの位の財産をためてゐるのだらう。伊津子は父についての性格はあまり知らないのだ。たゞ、非常に酒をたしなみ、醉ふと狂人のやうになると云ふことだけ母に聞いて知つてゐた。汚れた株劵が二千圓近くになる‥‥。父はまだ相當汚れた株劵を持つてゐた。金持になつてたいへんせつかちになつてしまつてゐる父は、伊津子に東京の生活なんか捨てて早く九州へ來てくれと云ふのであつた。伊津子は福岡の飛行場から東京行きの飛行機に乘るのであつたけれど、火野葦平と云ふひとががいせんして來ると云ふので、飛行場は澤山の人でにぎやかであつた。――伊津子は飛行機に乘つて、四國の高松邊の上空へ來ると、急に飛行機から墜ちて自殺してしまひたい氣持になつてゐた。黒い鹽田の上に鷺のやうな鳥の飛んでゐるのが澤山見えた。伊津子は自分の血液の中に、あの父のやうなすさまじい狂人の血が流れてゐるとしたら、自分はいつたいどうして生きてよいのかわからなくなつてしまふ。新しい母は、荒れ狂ふ父を毆つてゐた。父は泣きながら、伊津子に金をやらう、お前を困らせただけの金をやらうと怒鳴つてゐた。
伊津子はさつきの醉つぱらひの女をみて、急に父のことをおもひ、自分も、最後はみすぼらしく狂人病院で果てなければならないのかと思ふと、伊津子は東京の生活を離れて、九州へ行つてしまはうとも思ふのであつた。狂人になんかなつてたまるものか‥‥狂人になんかなつてたまるものか‥‥、伊津子は家へかへつて、夜釣りに行くのだと支度をしてゐる良人をつかまへて、釣りなんか行かないでくれと云つた。そして、交番の醉つぱらひの女のやうに、風呂場から手拭を持つて來て、頭が痛いよ、頭が痛いのよと泣いてみせるのであつた。
底本:「惡鬪」中央公論社
1940(昭和15)年4月17日発行
※「灸」と「炙」、「灸點師」と「炙點師」の混在は、底本通りです。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
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