株劵が二千圓近くになる‥‥。父はまだ相當汚れた株劵を持つてゐた。金持になつてたいへんせつかちになつてしまつてゐる父は、伊津子に東京の生活なんか捨てて早く九州へ來てくれと云ふのであつた。伊津子は福岡の飛行場から東京行きの飛行機に乘るのであつたけれど、火野葦平と云ふひとががいせんして來ると云ふので、飛行場は澤山の人でにぎやかであつた。――伊津子は飛行機に乘つて、四國の高松邊の上空へ來ると、急に飛行機から墜ちて自殺してしまひたい氣持になつてゐた。黒い鹽田の上に鷺のやうな鳥の飛んでゐるのが澤山見えた。伊津子は自分の血液の中に、あの父のやうなすさまじい狂人の血が流れてゐるとしたら、自分はいつたいどうして生きてよいのかわからなくなつてしまふ。新しい母は、荒れ狂ふ父を毆つてゐた。父は泣きながら、伊津子に金をやらう、お前を困らせただけの金をやらうと怒鳴つてゐた。
伊津子はさつきの醉つぱらひの女をみて、急に父のことをおもひ、自分も、最後はみすぼらしく狂人病院で果てなければならないのかと思ふと、伊津子は東京の生活を離れて、九州へ行つてしまはうとも思ふのであつた。狂人になんかなつてたまるものか‥‥狂人になんかなつてたまるものか‥‥、伊津子は家へかへつて、夜釣りに行くのだと支度をしてゐる良人をつかまへて、釣りなんか行かないでくれと云つた。そして、交番の醉つぱらひの女のやうに、風呂場から手拭を持つて來て、頭が痛いよ、頭が痛いのよと泣いてみせるのであつた。
底本:「惡鬪」中央公論社
1940(昭和15)年4月17日発行
※「灸」と「炙」、「灸點師」と「炙點師」の混在は、底本通りです。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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