気にはなれないのが苦しかった。本当に死にたくはないのだ。死にたくないと思うとまた悲しくなって来て、千穂子はモンペの紐でじいっと眼をおさえた。全速力で何とかしてこの苦しみから抜けて行きたいのだ……。明日は隆吉が戻って来る。嬉《うれ》しくないはずはない。久しぶりに白い前歯の突き出た隆吉の顔が見られるのだ。いまになってみれば与平との仲が、どうしてこんな事になってしまったのか分《わか》らない……。自然にこんな風にもつれてしまって、不憫な赤ん坊が出来てしまったのだ。――長い事、橋の上に蹲踞《しゃが》んでいたせいか、ふくらっぱぎがしびれて来た。千穂子は泥の岸へぴょいと飛び降りると、草むらにはいりこんで誰かにおじぎをしているような恰好で小用を足した。いい気持ちであった。
[#地から1字上げ](昭和二十二年一月)



底本:「ちくま日本文学全集 林芙美子」筑摩書房
   1992(平成4)年12月18日第1刷発行
底本の親本:「現代日本文学大系 69 林芙美子・宇野千代・幸田文集」筑摩書房
   1969(昭和44)年
初出:「人間」
   1947(昭和22)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年11月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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