》やかな声がした。千穂子は、太郎たちの事を思い、切なかった。家を飛び出す事も出来なければ、死ぬのも出来ないのも、みんな子供達のためだと思うと、千穂子はどうしようもないのである。頭が混乱してくると、千穂子は、軽い脳貧血のようなめまいを感じた。
食糧《しょくりょう》を風呂敷包《ふろしきづつ》みにして、千円の金を持って千穂子は産院に戻って来たが、赤ん坊はひどい下痢《げり》をしていた。産婆の話によると伊藤さんは他から、器量のいい二つになる赤ん坊を貰ったと云う事であった。千穂子はがっかりしてしまった。産院に千円の金をあずけて、三日目にまた与平のところへ相談に戻って来たが、与平はひどく機嫌《きげん》をそこねて、いっとき口も利《き》かなかった。
「これは運だから仕様がないけど、当分、貰い手がつくまで、あずかってもらっておこうと思うンだけど、一度、おじいちゃんにも聞いてみようと思って……私だって、ただ、ぶらぶらしてるンじゃないンですよ。困っちゃったンだもン」
「昨夜、富佐子が来て、太郎たち引取ってもらいてえと云って来たよ」
「あら、そうですか……もう二ヶ月以上にもなりますからねえ……男の子は手がかかるしねえ」
与平は筍《たけのこ》を仕入れて来たと云って、これから野菜と一緒にリヤカアで、東京の闇市《やみいち》へ売りに行くのだと支度《したく》をしていた。
「おい、隆吉が戻って来たぞ……」
ぽつんと与平が云った。
千穂子ははっとして眼をみはった。
「手紙が来たの?」
「うん、佐世保から電報が来た」
与平はもう一日しのぎな生活だったのだ。千穂子は気が抜《ぬ》けたような恰好で、縁側《えんがわ》に腰をかけた。表口へ出る往来|添《ぞ》いの広場に、石材が山のように積んである。千葉県北葛飾郡八木郷村村有石材置場と云う大きい新しい木札《きふだ》が立てられた。千穂子は腰かけたなり、その木札の文字を何度も読みかえしていた。その墨《すみ》の文字が、虫のように大きくなったり縮んだりして来る。長閑《のどか》によしきりが鳴いている。
「おじいちゃん。隆さん、いつ戻るの?」
「明日あたり着くンだろう……」
色の黒い商人風な男が、玉子はないかと聞きに来た。与平は顔なじみと見えて、部屋から玉子の籠《かご》を出して来ると、玉子を陽《ひ》に透かしては三十|箇《こ》ばかり相手の籠に入れてやった。男は釣銭はいらない
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