かけてゐる雨空を窓硝子越しに見てゐた。「おりよさんはいくつだね?」突然鶴石がこんな事を聞いた。りよは顔を鶴石の方へ向けてくすりと笑つた。「女の年は判らないよ。二十六七かね?」「もう、お婆さんですよ。三十です」「ほう、自分より一つ上だ……」「まア! 若いのねえ、私、鶴石さんは三十越してンだと思つたわ」りよは珍しさうに鶴石の顔をみつめた。鶴石は眉の濃い人のいゝ眼もとをちらと染めるやうに輝かせて、投げ出した自分の汚れ足をみてゐた。鶴石も靴下をぬいでゐる。
雨は夜になつてもやまなかつた。
遅くなつて、冷えた中華そばが二つ来たので、りよは留吉をゆり起して、眠がる留吉に汁を吸はせたりした。――二人は泊つて行くことに話をきめた。鶴石が帳場へ行つて、泊り賃を払つてきてくれた様子で、案外こざつぱりした夜具が三枚運ばれてきた。りよが蒲団を敷いた。部屋の中が蒲団でいつぱいになるやうな感じである。留吉のジャケツだけをぬがせて、厠へ用をたしに連れてゆき、蒲団の真中に寝かせた。「夫婦者だと思つてるね」「さうね。お気の毒さまですね……」りよは蒲団を見たせゐか、何となく胸さわぎがして、良人に済まないやうな気がしてゐる。さきの事は判らないけれども、雨が降るから、仕方なくこんな風になつたと思ひたかつたし、心で、そンな云ひわけをしてゐた。
夜中になつて、りよがいゝ気持ちにうとうとしてゐると「おりよさんおりよさん」と、鶴石の呼ぶ声がした。りよがはつと枕から顔を挙げると、「おりよさん、そつちに行つてもいゝかい?」と鶴石がさゝやくやうに云つた。雨脚が少し弱まつて、軒の水音もたえだえにきこえる。「いけないわ……」「やつぱり、いけないかね?」「えゝ、困るわ……」鶴石は深い溜息をついた。「ねえ、鶴石さんは、私、聞かなかつたけど、奥さんはどうなすつて?」「いまゐないよ」「前はあつたの?」「あゝ」「その方、どうなすつて……」「兵隊から戻つたら、別の男と一緒に暮してゐたよ」「貴方、怒つたでせう?」「うん、まアね、やつぱり怒つたね。――だけど、行つちまつたものは仕方がないね……」「さうね、でも、よくあきらめられたわね……」鶴石はまた暫く黙つてゐた。「何か話しませうか?」「うん、別に話をする事もないよ。……あの、中華そばはまづかつたなア」「……えゝ、本当ね、一杯百円だなンて……」「君達も、部屋があるといゝね……」「えゝ
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