良人の堂助は、たか子と徹男の仲をちやんと知つてゐた。知つて知らないふりをしてゐたのだ。何時の間に二人の關係が出來 何時の間に二人が別れたのかさへも第六感でちやんと知つてゐた。
息子の孝助が三年に進級して、寄宿生活を止めて家から學校へ行くやうになつた年の十月、たか子は友人の久賀男爵家から令孃の結婚披露の通知状を貰つた。
久賀男爵の夫人とは女學校時代からの友達で 令孃の登美子には堂助が繪を教へてゐた。そんな關係からか、二人とも登美子には何か娘のやうな親しさを持つてゐた。だが、この結婚披露の通知状を讀んで たか子も堂助も、ぎくつとした文字が眼を走つて行つた。何度も讀みかへしてみたが、花聟の名前には佐々徹男と云ふ文字がはつきり印刷されてある。
「輕井澤で逢つたあの男だらう?」
「ええ、さうね‥‥」
「不思議なもンだねえ‥‥」
「ええ」
「少しは胸に應へるかね‥‥」
「何?」
「何つて、昔の戀人のことさ‥‥」
「まア、何を云つてらつしやるの、あンな子供みたいな男のこと‥‥」
「ふふん、まさかさうでもあるまい。あの當時のことを考へてみるがいいさ」
考へてみるがいいと云はれると、何か腹立たしい氣持ちだつた。
溟心共に消えてしまつて、霧散さしてくれと云つたのはこんな事だつたのかと、たか子は齒ぎしりするやうな佗しさだつた。
久賀夫人が、娘の結婚を、こんなにぎりぎりになつてから通知してくれたのも、徹男のこころあつての事ぢやないかと、たか子はきりきりした。
「お前、結婚式に出られるかい?」
と堂助が意味あり氣に尋ねた。たか子はわざと吃驚した顏をみせて、
「二人に招待が來てるぢやありませんか、行きますよ、行かないぢや惡いでせう?」
たか子は平氣ですよ、何でもないンですものと云つた強氣をみせてゐた。――堂助とたか子は二人とも紋服姿で披露宴のある東京會館へ自動車を走らせたが、堂助の後から自動車を降り立つたたか子は、激しい動悸と吐氣がして來て、氣持が据らなかつた。
花嫁の登美子は、地につきさうな振袖姿で、高島田の髮も初々しい。帶は白しゆちん[#「しゆちん」に傍点]の龍の模樣で、登美子の柔らかさうな躯を、何か守つてゐるやうな高雅さに見せてゐた。集つてゐる者は誰も彼も美しい夫婦だと讚めてゐる。
徹男も紋服姿で、深い陰のある眼が暫く見ないうちに、益※[#二の字点、1−2−22]艷を
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