兵隊がドカドカと扉を叩いて行きます。
激しく扉を叩くと、私の前に寝てゐるロシヤの女は、とても大きな声で何か呶鳴りました。きつと、「女の部屋で怪しかないよ」とでも云つてくれるのでせう。私は指でチャンバラの真似をして、恐ろしいと云ふ真似をして見せました。ロシヤの女は、それが判るのでせう、ダアダアと云つて笑ひ出しました。私は此女と一緒に夕飯を食堂で食べました。何か御礼をしたい気持ちでいつぱいなんですが、思ひつきがなくて、――出発の前夜、銀座で買つた紙風船を一つ贈物にしました。彼女は朝になつても、その風船をふくらましては、「スパシイボウ!」と喜んでくれました。まるで子供のやうです。紙風船は影の薄い東洋人にばかり似合ふのかと思ふと、このロシヤのお婆さんにもひどくしつくりと似合ひました。手真似で女学校の先生だと云つてゐましたが、勿論白系の方なのでせう。
ひわ色に白にぼたん色に紙風船のだんだらが、くるくる舞つて、何か清々した風景です、窓のカーテンは深くおろしたまゝです、ハイラルには朝十時頃着きました、もう再び会ふ事はないだらう、此深切なゆきずりびとをせめて眼だけでも見送りたいものと、握手がほぐれ
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