うして日本食を召し上りながら、死んでしまふかも知れませんなんかと、淋しさうに云つていらつしやいましたが、……」
音楽学校の先生でショウジさんと云ふ方らしい。東京の列車から御一緒にパリーまで道連れにして貰はうなんぞと思つたのですが、何しろ二等で行かれるのでは、ケタが違ふので、私は六日遅れてしまつたのです。
「その方、運が良かつたのですね、私なんか無事に越せますかしら……」そんな事を話しあつてゐますと、チヽハルから、今婦女子だけが全部引上げて来たと云ふニュースがはいりました。女中達は、二三日泊つて様子を見てみたらどんなものかと云つてくれますが、様子なんぞ見てゐたら、まづ困つてしまふので、どんな事があつても、午後三時出発にきめてしまひました。ハルピンからシベリヤへ行く日本人は私一人です。エトランゼも居るにはゐましたが、ごく少数で、ドイツの機械商人と、アメリカの記者二三人と、まあ、その位のもので、あとは中国の人ばかりです。
「日本人の方でドイツへ行かれる方がいらつしやるんですが、二三日様子を見るとおつしやてゐますよ」
だが、どうしても様子を見てゐる旅費が切り出せないので、私は列車に乗る事に
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