て、ヤポンスキーと呼びかけて来るのです。長い事かゝつて聞いた事は、母親がモスコー婦人会の書記のやうな事をしてゐて、それに一年振りで会ひに行くのだと云ふ事でした。
子供の母親の名前は、カピタリカーパと云ふ人ださうです。僕はピオニエールだよ、さう云つて元気に出て行きましたが、兎に角シベリアの三等列車は呑気で面白い。十七日、昼食の註文を朝のうちに取りに来ましたので、食べる事にして申し込みました。申し込むと云つたところで、扉をニューと開けて食堂ボーイが、「アベード?」と覗きます。それに承知《ダア》とか、不承知《ニエット》とか答へればいゝんで、訳はないのです。大変昼が楽しみでした。ピエルミ君も初めて、註文したらしく、指をポキポキ鳴らして嬉しさうでした。窓に額をくつつけて、吹雪に折れさうな白樺のひよろひよろした林を見てゐると、ピエルミ氏はタンゴの一節を唄つてくれたのですが、ロシヤ人はどうしてかう唄が好きなのでせう。いつそ此人の奥さんになつて、ピエルミで降りてしまはうかなんぞやけくそな事を考へたのですが、何しろ言葉が分らないし、私とは二尺位も背丈が違ひ過ぎるやうな気がしましすし、ともあれ諦める事に
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