ると、私はすぐカーテンの隙間から、ホームに歩いて行く元気のいゝお婆さんの後姿を見てゐました。パリーへ来るまで……来てまでも、私は沢山の深切なゆきずりのひとを知りました、何しても報いられないのですが、そのまゝお互ひがお互ひを忘れて行くのでせうか。……

 駅のロシヤ風の木柵の傍には、満人の兵隊とアメリカの記者団が何か笑ひながら握手してゐました。――どうしたせゐか、一望の端に見えるシベリヤの空が、ひどく東洋風なので満人の人達の方の顔が何だかしつかりとして見えました。――でもいづれの国も虎を背負つてゐるかたちかも知れない。……
 マンジウリに着いたのがお昼です。露満の国境です。まだ雪は降つてゐません。珍らしく日本風な太陽が輝いてゐました。日本風な――笑ひますか、こんな言葉も一脈のノスタルジヤでせう。……こゝでは大毎の清水氏や、ビュウローの日本のひとが出てくれました。二人ともいゝ方でした。――安東を出てから二度目の税関です。荷物を税関に運んで、調べて貰ふ間にパスポートにスタンプを押して貰ひました。ガランとした税関の高い壁上には、大きなシベリヤ地図が描いてありました。一寸田舎の小学校の雨天体操場と云つた感じです。シベリヤを通過する旅客は、ドイツの商人と私との二人きりです。鞄をあけたソヴィエートの税関に調べて貰つてゐる間に、満人の憲兵が何度も私の姓名と職業を尋ねました。パスポートを調べられるのは勿論ですし、所持金まで聞かれました。勿論これはロシヤ側の方です。で、私は人に教はつた通り、米ドルで三百ドルだと書いてみせました。写真機もタイプライターも持つてゐませんでしたが、若し持つてをれば、通過する間封ぜられます。税関では、一ツ面白い事がありました。下村千秋氏が玉木屋のつくだ煮を下すつたのを持つてゐたのですが、どうしても開けて見せろと云ふので、私は開いて貝を一ツ摘んで食べて見せました。此様な、まるで土みたいな色をした食料品なぞ、不思議なのでせう。一切の仕事が片づくと、さて、一週間を送るべき、モスコー行きの硬床ワゴンに落ち着きました。

 4信
 共産軍はもうチチハルへ出発したとか、ロシヤの銃器がどしどし中国の兵隊に渡つてゐるとか、日本隊は今軍隊が手薄だとか、兵匪の中に強大な共産軍がつくられてゐるとか、風説流々です。戦ひを前にしての静けさとでも云ひますのか、マンジウリの駅は、此風説に反
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