ブは、月に一回、会員の家にあつまって、いろんな話をしたり、歌やどうようをつくったりすることにしました。はじめは金井君のおうちであつまることにしました。たった三人の会員で淋しいので、おいおい、人をふやして行こうとやくそくしました。
ラビットクラブは、ただお話だけをするのではなく、いいこともしなければ、いみがないとおとうさんはいいます。
「でもね、いいことをするということにこだわって、つくりごとをしてはいけないよ。いいかい。しぜんなしかたで、いいことをたのしくするという、気持だと、長くつづくものだよ」
と、おとうさんがおっしゃいました。
金曜日の夜。
僕たちは、金井君のうちにあつまりました。沢井君、野田君が、あたらしくおなかまにはいりました。
「僕ね、この間、宇都宮へ行くんで、おかあさんと上野駅へ行ったんだよ。そしたら、僕ぐらいの子どもが、新聞を買ってくれって来たんで、おかあさんが、気の毒だって新聞を買ったの。そうしたら、そこへ、とてもやせこけた男の人が来て、たばこのすいがらをひろったんだよ。するとね、その子どもは、とても怒った顔して、ここは俺の縄張りだよって、どなってるの。僕、何だかこわかったなあ‥‥」
繁野君の話です。
「それでねえ、おかあさんが、パンを一つやったの、おとうさんやおかあさんは、どうしたのって聞くと、浅草で黒こげになって死んぢゃったっていうの‥‥ほんとうかなア」
繁野君は、いかにも、その子どものことがふしぎそうなのです。僕はラジオだの、話にきくけれど、まだそんな子どもをみたことがありません。
そのつぎは、金井君の話です。
「僕はねえ、このあいだ、新宿へ行ったら、よそのおばあさんが、お金入を落したって泣いているのを見たよ。人が三四人たかっていろいろきいているけれど、おばあさんは、何処で落したかわからないんだって、三百円も落したっていうんだろう。甲府へかえるのに、切符も落したんだって‥‥汽車ちんがなければ、甲府へかえれないっていうんでメガネをかけたおばさんが、そのおばあさんに十円めぐんでいたのさ。そしたら、赤い鞄をさげた男の人が二十円おばあさんにくれたんだ。僕何だかはずかしかったけれど、本を買うお金を持っていたから、五円だけ出しておばあさんにやっちゃった。おばあさんはみんなにぺこぺこおじぎをしてるのさ。――僕がお金を出したら、また、あとで、お金をわたしてる人があったから、おばあさん、きっと甲府へかえれたと思うね――」
僕は何もいいことをしなかったし、めずらしい話もないので、今夜はきき役です。
つぎは、沢井君の話です。[#「です。底本では「です」]
沢井君のおうちはミシンの製造をしていて、工場をやっています。沢井君のおとうさんは、とてもかわりもので、このあいだ、北海道へ行かれる時、青森で、沢井君とおなじ年の、男の子をひろって来られたそうです。
「僕のところでは、その子のことを、おとうさんが、大砲って呼ぶんだよ。ほらばかり吹いてて、お掃除もきらい、学校もきらいなんだもの‥‥それでも、みんなしからないの、しかってはいけないっておとうさんがいうんだもの。
その子は、小池義也って書いたきれ[#「きれ」に傍点]を胸にぬいつけているけれど、おとうさんは、どうもそんな名前ぢゃないらしいって――。ちっともほんとうのことをいわないし、二度も、うちから逃げちゃったんだけど、いつもおとうさんがおむかえに行くんだよ。おかあさんがおこってしまって、もう、あんな子ども、ほっておきなさいっていうんだけど、おとうさんは、自分の子どもだったらどうする。――やっぱり、どんなことをしてもさがしに行くだろうって。だからさがしてつれてくれば、もう、うちが、いいってことになるからねって、二度もつれて来たんだ。はじめは、浦和の警察から知らして来たんだけど、二度目は十日ぐらいして、長野の警察から知らして来たんだよ。いつも、おとうさんもおかあさんもみんな浅草で死んぢゃって、誰もみよりがないっていってるんだって‥‥。だって、その子どもは、浅草なんて知りやしないんだもの‥‥僕が、ふるい浅草のエハガキをやったら、それをとてもよくおぼえていて、商店のカンバンの名前までくわしくいうんだって‥‥。生まれは、どうも宇都宮あたりらしいっておとうさんがいうんだけど、浦和でも長野でも、浅草の田原町で生まれたなんていっているんだよ。朝、掃除しなさいっていっても、知らんかおして、ぷいとどこかへ行ってしまうし、とてもなまけものなんだね。うたをうたうのが好きで、うたなら何だって知ってるよ。
僕も、ときどきけんかするけど、おとうさんはとめてくれないんだ。どっちにもひいきしないんだって、だから、僕、おとうさんのことを中立っていうのさ。しらないで[#「しらないで」はママ]、気長にみてゆくよりしかたがないんだそうだよ。
その子のおとうさんは、靴をなおしてたんだっていうんだけど‥‥でも、それだってわからないよっておとうさんがいうのさ。浅草でミシン屋をしてたって、長野でいってたのは、うちのことだろうっておとうさんが話してたけど、大砲って、ずいぶんおもしろい子どもだよ。
歌ならどんなのでも知ってるし、鶏小舎で、鶏がたまごをうむと、いつも、どこにいても一番に走って行って、あったかいのをつかんで、大声で呼びながら飛んで来るし、とにかく変ってるんだ。学校大きらいなくせに、おじさん、大きくなったら大学へあげてねっていってるし、学校だって、一週間のうち、三度ぐらいしか行かないんだよ。先生もびっくりしてるけどね。ご飯の時だって、そりや早いんだよ。いま、お膳についたと思うと、もう皿のなかがからっぽ‥‥」
僕はときどき、沢井君のうちの、その子どもをみたことがあります。年はおなじだけれど、学校は一年下だったので、遊んだことはありません。
おでこのひろい、眼のひっこんだ小さい子どもです。
「君のうち、とてもえらいねえ」
金井君がおどろいています。
「だって、その子だって、誰かがみてやらなくちゃならないんだから、そんなら、うちのような、きがねのないところが一番いいんだって‥‥」
「君のきょうだいになっているの?」
「ううん、同居人ってことになっているんだよ。でもね、なまけもので、すぐ、どっかへでかけてゆくくせに、人のものをぬすんだりしないのが一番いいところだって、おとうさん感心してるんだ。小づかいだって僕とおなじようにくれるの。でも、大砲は、うちのおとうさんが一番こわいらしいよ。しからないからいやなんだって、いうときがあるもの‥‥」
沢井君のおとうさんには、僕は一度も会ったことはないけれど、いいおとうさんだなと思いました。
「でも、おもしろいのは、ものをいうのに、にごりが出来ないんだよ。たとえば、レコードのことをレコート、というし、家のげんかんというのをけんかん、あずけに行くっていうのをあつけにゆくっていうし、みょうなことだって話してるの‥‥。――おとうさんは、どこで生まれて、どこでそだったのかきかなくても、うちにいるかぎりは一生めんどうをみて、すきな仕事を[#「仕事を」は底本では「事仕を」]させるんだって‥‥」
「もう逃げない?」
金井君が、心配そうにたずねています。
「ああ、もう逃げない。いつも、縁側で、さびしそうに歌をうたっているよ。トラジっていうのだの、アリランの歌がすきだね」
「僕も知ってるけど、いい声だね」
「うん、おとうさんは、大砲は、昔のことを、何も話さないから、しっかりしたいい子だっていってるよ‥‥」
「君は好きなの?」
「はじめはいやだったけど、いまは何ともないなア、どっかへ行っちまえばさみしいさ。僕のことを三ちゃァんっていうんだよ」
お家へかえって、沢井君のうちの、小池君の話をおとうさんにしました。
「うん、なかなか沢井さんのおとうさんはできた人だな」
と、感心していました。
うちのおかあさんは、病気もすっかりよくなりました。うちでは、みんな起きていて、元気です。おとうさんは、もう台所をしなくてもすむようになったし、僕も、静子も、もう台所はしなくてもいいのです。
おかあさんが、このごろ、イーストというもので、パンをつくって下さるけれど、イーストのパンって、それはおいしくて、もう、これから、僕たちは、お米のごはんを食べなくてもいいなんて話しています。
沢井君が、ラビットのししゅうをした青い旗を、ミシンでぬってもらって、それを見せてくれました。とてもきれいです。
或日、おとうさんと銭湯のかえり、僕は、沢井君のところの小池君に道で会いました。小さい子どもたちが、石をぶつけっこしているのをとめているのです。
「けんかしてためッ! けんかするといけないから、みんなその石すてなさい、いいか、けんかしてためよ、けかするからね」おとうさんはにこにこ笑って、小池君の頭をなでました。
「君はいい子だねえ。健ちゃんところにも遊びにおいでよ。健ちゃんのところには鶏がいるし、大きい金魚もいるよ」
小池君はきまりわるそうにしています。
「遊びにお出でね」僕もそういいました。すると、小池君は、いかにもうれしそうに、
「ぼく、健ちゃんのうち知ってるよ。あすことこに大きい犬いたろう? あの犬、ぽくかってたのよ」
といいました。
道理で、野良犬のくせに、ふとっていたものだと思います。
僕とおとうさんの吹く口笛に、小池君もあわせて吹いています。
おとうさんが、
「健坊、小池君っていい子だねえ」っていいました。
「沢井さんのおとうさんってりつぱな人だねえ、一度、どんな人なのか会ってみたいもんだ。ふつうの人にはできないことだ」と、すっかり感心しています。
沢井君のおとうさんも好きだけれど、僕は僕のおとうさんも世界一大好きです。
底本:「林芙美子全集 第十五巻」文泉堂出版
1974(昭和52)年4月20日発行
※仮名遣いに乱れがありますが、底本のままに入力しました。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
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