たずねています。
「ああ、もう逃げない。いつも、縁側で、さびしそうに歌をうたっているよ。トラジっていうのだの、アリランの歌がすきだね」
「僕も知ってるけど、いい声だね」
「うん、おとうさんは、大砲は、昔のことを、何も話さないから、しっかりしたいい子だっていってるよ‥‥」
「君は好きなの?」
「はじめはいやだったけど、いまは何ともないなア、どっかへ行っちまえばさみしいさ。僕のことを三ちゃァんっていうんだよ」
お家へかえって、沢井君のうちの、小池君の話をおとうさんにしました。
「うん、なかなか沢井さんのおとうさんはできた人だな」
と、感心していました。
うちのおかあさんは、病気もすっかりよくなりました。うちでは、みんな起きていて、元気です。おとうさんは、もう台所をしなくてもすむようになったし、僕も、静子も、もう台所はしなくてもいいのです。
おかあさんが、このごろ、イーストというもので、パンをつくって下さるけれど、イーストのパンって、それはおいしくて、もう、これから、僕たちは、お米のごはんを食べなくてもいいなんて話しています。
沢井君が、ラビットのししゅうをした青い旗を、ミシンでぬってもらって、それを見せてくれました。とてもきれいです。
或日、おとうさんと銭湯のかえり、僕は、沢井君のところの小池君に道で会いました。小さい子どもたちが、石をぶつけっこしているのをとめているのです。
「けんかしてためッ! けんかするといけないから、みんなその石すてなさい、いいか、けんかしてためよ、けかするからね」おとうさんはにこにこ笑って、小池君の頭をなでました。
「君はいい子だねえ。健ちゃんところにも遊びにおいでよ。健ちゃんのところには鶏がいるし、大きい金魚もいるよ」
小池君はきまりわるそうにしています。
「遊びにお出でね」僕もそういいました。すると、小池君は、いかにもうれしそうに、
「ぼく、健ちゃんのうち知ってるよ。あすことこに大きい犬いたろう? あの犬、ぽくかってたのよ」
といいました。
道理で、野良犬のくせに、ふとっていたものだと思います。
僕とおとうさんの吹く口笛に、小池君もあわせて吹いています。
おとうさんが、
「健坊、小池君っていい子だねえ」っていいました。
「沢井さんのおとうさんってりつぱな人だねえ、一度、どんな人なのか会ってみたいもんだ。ふつうの人にはできないことだ」と、すっかり感心しています。
沢井君のおとうさんも好きだけれど、僕は僕のおとうさんも世界一大好きです。
底本:「林芙美子全集 第十五巻」文泉堂出版
1974(昭和52)年4月20日発行
※仮名遣いに乱れがありますが、底本のままに入力しました。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全20ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング