金井君は気をわるくしたのかだまってしまいました。さくが一本ずつ立って行きます。こんならチョコだってはいれないでしょう。さくのぐるりに、僕は花を植えるつもりです。二時すこしすぎたころ、おかあさんが僕たちを呼びました。今日は僕のところもおやつがありました。むしパンをおかあさんが一つずつ下さいました。
「君のうちだって金持だよ」
 金井君にやられてしまいました。むしパンはとてもふんわりしていておいしいので、僕はうまくてしかたがありませんでした。えんがわに腰をかけていると、昨日の雨でしめっていた庭にかげろうがまっています。ちんちょうげの花の匂いがとてもにおってきます。庭のすみにあるこぶしの新芽がきれいです。
 今年は桜も早くちりかけていると、新聞に出ていました。
「春っていいね」金井君がいいました。
「あたたかでいいね、でも、僕は夏の方がもっと好きだよ」
 僕は夏が好きです。おとうさんも夏が好きです。夏になると僕とおとうさんの天下で、釣に行くのがたのしみになります。
「山本先生ね、すこし毛が生えて来たよ」
 金井君がにこにこしていいました。そういえば、おとうさんも、はげがめだたなくなりました。春になったから、頭の毛もはえるのかもしれません。それに、いわしをたべるせいかもしれません。おやつがすんで、僕たちはまた畑をしました。チョコはぬくぬくと畑のそばで日向ぼっこをしています。
「お前だな、畑あらしは……」
 金井君がにらみますと、チョコは、ねたなりでしっぽをゆらゆらふっています。僕はおかしくなって、チョコの前あしを一寸ふむまねをしました。チョコはざらざらした舌を出して、僕の靴さきをなめます。
「君、あのねえ、凍った山って、月夜にみるときれいだぜ。みたことはないだろう。僕たち山で、月夜に、B29[#「29」は縦中横]が、村の上をとおったんで、そっとそとに出てみたんだよ。白い山山に、B29[#「29」は縦中横]のサクン サクン サクンっていう、エンジンの音がはんしゃしてとてもきれいだったよ。星がいっぱい光ってて夜の凍っている山ってすごいよ」金井君が思い出したようにいいました。
 凍った山ってどんなだろうと思います。僕はみみずをほじくり出したので、しばらくみつめていました。のの字になったり、Sの字になったりしてさかんに運動します。泥まみれのみみずは汗ばんでいるようです。
 金井君は口笛を吹きはじめました。何ともいえないぬるい風が吹いて、今日はねむくなるようなお天気です。

     12[#「12」は縦中横]

 おとうさんはこのごろおつとめです。
 おとうさんはいつも口笛を吹いておかえりです。このあいだ、おとうさんは古道具屋でのこぎりを買ってきました。四十円もするのだそうです。
 この、のこぎりで鶏小舎をつくって下さるのだそうです。日曜日はたのしみです。僕の畑のそばにおとうさんの鶏小舎がすこしずつ出来ています。いつになったら鶏が来るのでしょう。
 いつかの、おとうさんの童話のような、ふとった鶏が、この小舎に来るのかとおもうと僕はたのしみです。金井君も時時みに来ます。おかあさんは鶏を飼ってもたべさせるものがないので、生物は困るといっています。僕は生物は何でも好きです。
 鶏は、吉田さんのおじさんが、宇都宮から持ってきて下さるのだそうです。吉田さんのおじさんは、お仕事のことで、たびたび東京へいらっしゃいます。
 早く鶏のおうちが出来て、宇都宮の鶏が来るといいと思います。今日は日曜日なので、僕は金井君と二人で雑司ヶ谷の坂井君のおうちへ約束しておいた竹をもらいに行きました。金網のかわりに、竹の細いので格子をつくってやるのです。目白へ出て、学習院の通りを歩いていると、僕たちぐらいの男の子が、
「八王子へ行くのはこの道を行ったらいいの」とききます。
 破れたシャツと、あしの出たつぎはぎだらけのズボンで、小さい風呂敷包を持っています。髪の毛が随分のびていて大人のようにつかれた顔をしています。
 僕たちは八王子を知りません。
「君はどこから来たの」
 金井君がたずねました。
「遠いところから来たの‥‥」
「遠いところってどこなの」
「深谷というところから歩いて来たの」
「へえ、深谷ってどこだい、健ちゃん知ってる‥‥」
 深谷というのは、どこだか知らないけれども、おかあさんは、ねぎの話が出ると、すぐ、深谷のねぎはおいしかったというから、ねぎの出来るところから来たのかも知れないと思いました。
「ねぎのたくさん出来るところだろう‥‥」
 僕がたずねると、その子は、「うん」といいました。
 たぶん、おなかがすいているのでしょう、大変元気がありません。白目のところが青い、眼の大きい子です。
「八王子って遠いんだろう‥‥何しに行くの‥‥」
「おばあさんがいるんだ
前へ 次へ
全20ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング