をして、そっとして暮していようね、いまに、里から人間が来て、あのきばのある豚をたいじてくれるだろうとなぐさめていました。そのうちだんだんけものは豚に食われて行きました。山はさみしくなって、小鳥もあまりさえずらなくなりました。豚はますます得意でした。そのうち、ある日のこと、ほんとうに里からたくさんの人間が山へてっぽうを持って来て、きばを持った豚をうって行きました。
 里にいた鶏は、てっぽうでうたれた豚をみてびっくりしました。かわいそうでしかたがありませんでした。どうして、豚さんはきばなんかほしがったのだろう、あんなものをほしがらなければ平和に暮してゆけたのに、ほんとうにかわいそうなのぞみを持った豚さんだと、鶏は大きくなったひよこにいいました。
 おとうさんはこんなにおもしろいおはなしをして下さいました。僕は、これから、一つずつ、おとうさんのおはなしを日記にかいておこうと思います。

     5

 おとうさんが、戦争へ行く前にいつかいっていました。戦争がすんだら、たくさんおさとうが来るから、そしたらおしるこをどっさりたべようねっていっていました。だから、僕は、おとうさんに、
「もう、戦争がすんだのですから、おしるこをどっさりたべられるのでしょう」
 とたずねました。
 おとうさんはへんなかおをして、
「戦争に敗けておしるこなんかたべられないよ」
 とおっしゃいました。
 でも、このあいだ、中野のとおりをおかあさんと歩いていたら、一ぱい十円のあまいあまいおしるこというびらを露店でさげているのを僕はみたのだけれど、一ぱい十円もするおしるこはどんなにあまいのだろうと思いました。
 おかあさんは「高いおしるこね」とおっしゃいました。
 僕は早くおうちでおしるこがたべられるといいなと思いました。おさとうは台湾でたくさんできていたのだそうです。おさとうって、どうしてつくるのでしょう。おとうさんに、おさとうはどうしてあまいのですかとききましたら、そうだなア、おさとうのあまいのはどうしてあまいのかときかれるとちょっと困るねとおっしゃいました。おとうさんは何でもよくしらべてから僕にはなしてくれます。
 僕は何でもふしぎです。空をみてもふしぎです。ひるまは、ふわりふわり雲がういていて、青い空は、どこまで行っても広いのです。夜になると、青い空はくらくなって、どこまで行ってもくらいのですものね、そして、時時、お星さまがぴかぴか光っています。その星にはみんな名前がついているのだそうです。僕は北斗七星を知っています。星で東西南北がわかるというのもふしぎです。
 それから、僕は、お庭をみていてもふしぎです。
 僕のお家の庭には、うめもどきが一本うわつています。このあいだまできれいな赤い実がついていました。あんなひんじゃくな木から、まるで兎の眼のような赤い実がなるなんてふしぎです。
 それから、このあいだ、要さんからみかんをもらったけれど、あれだって、どうして、あんなにおいしい実がなるのかふしぎです。
 おとうさんは、何でもふしぎだと思うことはいいことだとおっしゃいました。何をみても何も感じないでいることは人間に生れてさみしい事だとおっしゃいました。
 僕たちが要さんのお家へ行って、二三日して、要さんがあそびに来ましたので、僕は何でもふしぎなことばかりだとはなしますと、要さんは、
「そうだよ、此世のなかはふしぎなことばかりだよ。でも、一つずつそのふしぎななぞをといてゆくのも面白いものだね」
 と、いいました。
 要さんは機械いじりが好きです。それにたいへん耳がいいので、僕の家のラジオが、があがあと変な音をたてると、すぐラジオの前へ行つてダイアルをまわして調子をなおしてくれます。
 要さんは音楽も好きです。
 僕も音楽は好きです。きれいな音をきいているのはきもちのいいものです。それから、僕は、おとうさんやおかあさんの声も好きです。学校からかえっておかあさんの声がしていると、僕は何だか安心した気持になってうれしくなります。
 おとうさんは、このごろ、仕事をおさがしになっています。戦争の前におつとめになったところはおやめになったので、いまはおとうさんはお仕事は何もありません。
 おとうさんは毎日おうちを出てゆかれます。おかあさんは、おとうさんに早くいい仕事がみつかるといいと僕におっしゃいます。
 おかあさんが買物にいらっしやる時は、いつも僕がリュックを持ってついて行きます。すると、近所のおばさんが、
「健ちゃんぐらいになれば、もう、おかあさんのお手伝いが出来ていいですね」
 と、いいます。
 おかあさんはにこにこして、
「ええ、一人で行くよりはいいですね、一人では、高いわね、だの、安いのはないかしらなんてひとりごといえませんものね‥‥こんな小さい人でもいれば、何で
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