お父さん
林芙美子

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「おっしゃって」は底本では「おっしゃて」]
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     1

 僕はおとうさんが好きです。
 おとうさんは、まるい顔をしています。このあいだ軍隊からかえってきました。僕は三年もおとうさんと会わなかったのです。おとうさんは、僕が寝ているうちにかえってきました。お土産に熊の仔を貰いました。熊の仔は、黒い木で刻んだものです。おとうさんは北海道に行つていたのです。
 いつも僕は六時に起きて、妹や弟とおかあさんのお手伝いをするのですけれど、その朝は五時に起きました。だって、おかあさんが大きい声で、
「健ちゃん、おとうさんがかえっていらっしたからお起きなさいよ」
 と、おっしゃいました。
 僕はびっくりして飛び起きました。ほんとうにおとうさんはかえっていました。おとうさんは僕たちの寝床のそばに坐っていました。寝巻を着ていらっしたので、僕ははじめ、おやと思いました。おとうさんはいつも兵隊さんのはずだったがな、と思ったからです。
「やア、健坊、大きくなったなア」
 おとうさんはそういってにこにこ笑っています。僕は飛び起きて「わあ」といいました。胸がどきどきしました。おとうさんがほんとうにかえってきたのだと思うと、うれしくてうれしくて仕方がありません。僕は、すぐとなりに寝ている静子と、宏ちゃんを起しました。
 もう戦争がすんだから、おとうさんは兵隊に行かなくてもいいのです。
「ほんとうに戦争はすんだの」
 と、僕がききますと、おとうさんは、
「ああほんとにすんだんだよ。先生は何とおっしゃったかい」
 と、ききます。
「日本は戦争に敗けたんだって‥‥」
「そうだよ、だから、もう、おとうさんも戦争しないでいいのさ」
「戦争っていやですね」
「うん」
 おとうさんは宏ちやんを抱きあげて、あごで宏ちやんの頭をぐりぐりやっています。
 お蒲団をたたんでいらっしたおかあさんが、
「戦争ってきらいね」
 と、おっしゃいました。僕のおかあさんは、いつも戦争ってきらいだ。きらいだとおっしゃって[#「おっしゃって」は底本では「おっしゃて」]いました。だから、あんまりそんな事をひとにいうとしかられますよ、というと、おかあさんは、じっと僕を見て、涙ぐんでいうのです。
「健ちゃんは、いい子になって下さいね。人にも自分にもうそをいわない、正直な、いい人になって下さいね。――健ちゃんは戦争が好きなの?」っておっしゃいます。
 僕は、戦争のことってよく知らないのだけれど、何処へ行っても米英を敵だ、というので、僕はわるい国はいやだと思っていました。第一、毎日B29[#「29」は縦中横]が、たくさんのお家を焼きにくるので、こわい国だと思つていました。
 戦争がすむと、急にのんびりして、夜もお寝巻で朝までぐっすり寝られるし、宏ちゃんもおびえて泣かなくなりました。
「健ちゃんが大きくなったら、戦争なんかしないで下さいね。戦争があると、みんながくるしむのよ。くるしんだ上に、たくさんの人が死んでしまうのよ。その上、東京だってこんなに焼けてしまって、みんな住むお家もなくて困るでしょう」
 とおかあさんがおっしゃいました。僕は焼野原になった東京を見るとかなしいのです。僕のお友達のお家も、ずいぶん焼けました。空襲があるたび、僕はおかあさんと静子と宏ちゃんといつもお家の壕にいました。いっぺん僕のお家の庭に焼夷弾が落ちました。おかあさんは、すぐ消しに行かれました。ぱあっと光が射して、あたりはまるで大雨のような音がしました。
 おかあさん逃げましょうといいますと、おかあさんは「いいのよ、いいのよ、こうしていましょう。逃げて煙に巻かれると、かえっていけないからね」とおっしゃいました。
 あの時のことをいろいろ思い出すと、まるで夢のようです。僕のおかあさんはとても元気でした。僕が泣きだすとおかあさんはとてもひどくおしかりになりました。

     2

 おとうさんがかえっていらっしゃって、僕たちはみんな元気になりました。おとうさんもたのしいのでしょう、よく口笛を吹きます。僕も、おとうさんのまねをして、口笛を吹くことが上手になりました。[#「ました。」は底本では「ました、」]おとうさんがかえっていらっして二三日してからのことです。あんまりお天気がいいので、麻布の要さんの家へ行くことにしました。要さんは中学生です。要さんのおとうさんは、僕のおとうさんの一番上のにいさんです。僕たちを一番かわいがってくれます。このおじさんは早くから僕たちに田舎へ行きなさいといっていましたが
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