いうでない」って笑っています。
 僕のおとうさんは、いつもにこにこしています。すこしもしかりません。
「今日はおとうさん、お金持ですね」
 と僕がききますと、
「そりあそうさ」
 と笑っています。
 夜、静子にきいたら、おとうさんは、どこかのおじさんをつれて来て、本だのレコードだのお売りになったのだそうです。
 おとうさんは、とても音楽が好きでした。
 僕はいつも、おとうさんがかけて下さるモルドウというのが好きでした。それから四台のピアノも好きです。モルドウというのは、河の流れを曲にしたのだそうで、山の奥から街の中へ流れて行くまでの河のすがたが目にみえるようです。
 モルドウを売られては淋しいと思いました。それから、本もおとうさんは大切にしておられたので、何だか気の毒に思いました。
「おとうさん、本だなのレコード売ったんですか」
「ああ、あんなもの、焼けたと思えば何でもない、よその人が、たのしんでくれると思えばいいんだよ」
「モルドウはどうしたの」
「ああ、あれはまだあるよ」
「ああよかった」
「でも、いまに蓄音機も売ってしまうかもしれないよ」
「僕、いやだなあ」
「いやだっていっても、僕たちは戦争に敗けたんだよ。当分はぜいたくなことはいっていられないよ。みんな、いっしょにくるしむ時代なんだから。――おとうさんは、お前たちだけは何も知らせないって気持はないから、何でも話しておくけど、戦争に敗けたということをなまぬるく考えていちゃいけないのだよ。戦争に敗けることが、このくらいのなまぬるさだったらまたいつか戦争みたいなことがおこりかねないね。永久に戦争ってなくしたいことに努力するのが、いまの人たちの責任なんだよ」
 おとうさんは暑いので、アンダシャツ一枚で台所をしています。蛇の目の傘の破れたのでくしをつくって、おとうさんはうなぎのきもを焼いています。
 とてもいい匂いがして、弟は早く食べたいとさわぎます。
 静子はキャベツをこまかく切っています。
「ねえ、健ちゃん、もうこれで四円ぐらいキャベツ切っちゃったわ」
 といっています。
 食物がこんなにたくさんあると、僕は何だか変です。夜はパンをつくるのだそうです。僕は粉ひきで麦をひきます。手が痛くなったけれど、がまんしてハンドルをまわします。
 キャベツのはいったパンを食べるなんてどんなにおいしいだろうとたのしみです。
 八
前へ 次へ
全40ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング