あたり百合子さんと御同伴で広島の方へ行くつて云つてたけれど、――あの人達はあの人達でいゝわ。子供や亭主がないンですもの、その点、私なンぞより、よつぽど気楽で、せか/\しなくツていゝし」
「全くね、だけど、あのサトミさんてひと、どつか違つてる人ね、呆んやり退屈さうな風でゐて、落ちついてゐのね[#「ゐのね」はママ]、私、自分は自分で、あンな酒場の空気に汚れないひと、好きだわ」
「だつて、この頃、お粒さんだつて、操さんだつてとても気弱で、そりやアいゝ人達になつたわ、だけど、操さんの大森発展は困りもンだけど、あれはあれで仕方がないぢやないの、御亭主が市ヶ谷へ這入つてンですつて佗しい話ねえ」
 二人は廊下を話しながら歩いた。琴を買つてゐるお嬢さんが、コロリンシャンと、何度も糸を弾きながら母らしい人と談笑してゐる。
 直子は眼を伏せて古里の事を偶と考へてゐた。柿の実の赤々と熟した娘のころの思ひ出の中に、「黒髪」がよく弾けたこと――今かうして、何でもない行きづりの琴の音を聞くとたまらない気持ちであつた。そして、妙に音楽と云ふものが、甘く心に来ると、牧と、この儘、行くところまで行つて死んでしまつてもいゝと云つた風な気持ちになるのであつた。
「何にしても、人生つて、くたびれるところなのね」
「直子さん! あンたはまだ本当にお嬢さんだわ、私、このごろでは、人生と根くらべよ――私、子供にオルガン習はせてやりたいことが理想なンだけれども‥‥えゝ一生の仕事として、それをやつてやりたいと考へてゐるのよ、私は、生きてゐることは楽しみだともこのごろ考へだしたわ」

 10[#「10」は縦中横] 雲の飛ぶよな
 今宵のあなた
 みれんげもない
 別れよう‥‥

 料理店リラの女達の中には、この唄はまだまだ唇に苔むされてゐた。
 お粒は、酒にも弱くなつたのか、毎日呆んやり煙草を吸つて唄つてばかりゐた。――サトミは相変らず、底の判らない顔色でニヤニヤ笑ひながらレコードをかけてゐる。百合子は百合子で、華美な着物ばかりつくつて操達をうらやましがらせてゐた。
 雪もないうららかな日が続いた夕方――静かにレコードの始つてゐるリラの扉をあけて、
「おい! とう/\やつたよツ! ホラツ」
 せん子が第一番に、立ち上つた。岡田は震へる手つきで、マホガニの卓子の上に新聞紙をひろげた。
 ――牧法学博士一女給と心中を計る
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