うことも、忘れていたわけではないが、前後して出て行った喬之助と近江之介が、何となく気になる空気を残して行った。しかし、相手はどうせあの喬之助である。大したこともあるまいが、どこか人眼につく場処で口論でもされては、新御番詰所一同の失態になるかも知れない。が、これも、考えてみれば杞憂《きゆう》に過ぎない。片方が組与頭の戸部氏である。まさか一時の怒りに任せて、そんな愚《ぐ》をするはずはない。かえって多人数がお廊下などを歩き廻っては面白くないから、安心して、ここで雑談でもしながら退出《ひけ》の時刻を待つとしよう。止められると、皆その気になって、出足《であし》を引っこめて一同詰所にすわった。
 大体が、近江之介におべっか[#「おべっか」に傍点]を使うための喬之助いじめである。だから、その張本人の近江之介がいなくなると、自然喬之助のことは忘れて、話題は急速にほかのことへ移って行った。駒場の鳥狩《とりがり》のこと、その時の拍子木役のむずかしかったこと、馬のこと、酒のこと、煙草のこと、刀のこと、女のこと、など、など、などである。ときどき、お終いに来て笑い返して出て行った喬之助のことが、誰かの胸へ帰って
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