にとって、お六という女は、この大都会江戸の陰影に呑まれたきりになっているのだった。
 放蕩無頼《ほうとうぶらい》、箸にも棒にも掛らない長庵だが、この初恋の女お六だけは、その後も、何ということもなく忘れ得ずに、かくして時どき思い出している。
 今も、博奕《ばくち》に負けて無一物、たった一枚の着物も、擦り切れないように緊縮して、家にいる時は、いつも裸で済ましている長庵だ。暑い時だから、結句これもいいと、ぼんやり蚊を追いながら考えているのは、かなり前に別れたままのお六のことである。
「粋《いき》な年増《としま》になりやがったろう。畜生め!」
 と、この畜生め! で、また一匹威勢よく蚊をたたいた時、ガラリと鼻ッ先の格子を足で蹴開《けあ》けて、
「何だ、何だ、粋な年増がどうしたんだ」
 肩に弥造《やぞう》を振り立ててはいって来たのは、長庵の相棒《あいぼう》、戸塚《とつか》の三|次《じ》だ。三尺の前へ挾んでいた裾をパラリと下ろして、肩の手拭をとって、パッパッと足もとを払いながら、戸塚の三次は渋い声を出すのだ。
「おッ! まっ暗じゃアねえか。長庵さん、お在宿《いで》かえ」
「居るよ。ここにいらあな。
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