心をして、独りでニヤニヤ笑っているのだが、自分の事を藪と知っているのは、長庵、悪党だけに中なかおのれを心得ている。
「ただの一夜を七夕《たなばた》さまが、それも雨ふりゃ逢わずに帰る。何と逢瀬《おうせ》があわれやら――」
 七月のことで。
 長庵はかく低声に唄いながら、その、夕方になっても未だ灯もつけない、空家《あきや》同然のおのが住居の中を、珍しそうに見廻している。
 麹町平河町一丁目。町医長庵が家。
 打ち水、蚊やり……と世間さまは暑熱《しょねつ》と闘うに忙しいのだが、この長庵の宅と来たら、これはまた恐ろしく涼しい限りで、家具と名のつくものは愚《おろ》か、医者の道具らしい物も何一つもなく、まことにサッパリと夏向きである。おまけに、本人の長庵はこの通り丸裸で、それでも、坊主頭に頭巾《ずきん》だけは被《かぶ》ったままで、六尺ひとつ、壁に凭《よ》り掛って、先刻からモゴモゴ何か言っている。
 柄になく、思い出に耽《ひた》っているところ……どうもお金がなくなると思い出にふけるのが、この長庵先生の習癖《くせ》のようで。
 大岡越前守忠相様が、南のお町奉行を二十|年《ねん》御勤役《ごきんやく》にな
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