ていたの、欠伸《あくび》をしたのということは、そうそう取り締れるわけのものでもない。といい条《じょう》、発見《みつ》けた以上は役目柄叱らない訳にもいかず、そんなことをしていては日もまた足らずなので、そこで歴代の大目附が、経験と必要に即《そく》して案出したのがこの咳払いである。大目附は、登城《とじょう》下城《げじょう》に城中を通るとき、えへん、えへんと盛んにこの出もしない咳をして歩く。殊に、若侍の多い溜《たま》りへでも近づくと、咳のしつづけである。だから、城士のほうでも心得ていて、このえへん[#「えへん」に傍点]が聞えて来ると、さあ大目附が通るというので、警《いまし》め合って坐《すわ》り直す、襟を掻《か》きあわす、袖口《そでぐち》を引っ張る、そこらを片付ける、急に忙しそうに書類などをめくり出す――一時的だが、咳払い一つで立派に綱紀粛正《こうきしゅくせい》の目的を達していた。とりわけこの近藤相模守茂郷は三十一の時に大目附へ召し出されて、七十七歳まで勤め続けて来た殿中の活字引《いきじびき》である。まるで一生を咳払いに送って来たようなもので――そら来たと御番衆が他所《よそ》行きの顔を並べている
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