、三の円頂《えんちょう》の男である。黒っぽい紬《つむぎ》に茶縮緬《ちゃちりめん》の十|徳《とく》のような物を着ている。剃《そ》った頭が甲羅《こうら》を経て茶いろに光って見える。眼のギョロリとした、うすあばた[#「あばた」に傍点]の長い顔だ。不釣合《ふつりあい》に大きな口をしていて、その口を、しじゅう何か呑《の》みこむ時のように固く結んでいるのだ。村井|長庵《ちょうあん》といって、麹町平河町一丁目の町医である。医術のほうの手腕《うで》は大したことはないらしいが、幇間《たいこもち》的な、辯巧《べんこう》の達者な男なので、この脇坂山城守をはじめ、こういう大所《おおどころ》を病家に持って、無礼御免に出入りしているのだ。
 村井長庵は、その固く結んでいる口を動かした。何か言うのかと思うと、手を口のところへ持って行って、口びるを撫《な》でた。言葉を拭《ふ》き脱《と》ったような具合だ。黙り込んで曖昧《あいまい》なお低頭《じぎ》をした。
 山城守が続けていた。
「伊豆屋のほうもある。しかし、琴《こと》二郎のことは、お前に任せてあるのだ。よろしきように取り計《はか》らうがよい」
「はい」村井長庵は頭を下げた。それも、横を向いて頭をさげたのだから、おじぎのようには見えない。ただ、首をうごかしただけである。殿様の前に、傲慢《ごうまん》――と言えば傲慢な態度なのだが、長庵はこんなふうに、人を人とも思わないところの見える男なのだ。が、そのかわり、言葉だけは、ばか丁寧《ていねい》である。
「はい。兄弟のことではござりまするし、それに、平常《ふだん》から、普通の兄弟に倍して、兄思い、弟思いの喬之助さまと琴二郎さまでござりまするによって、兄喬之助様の隠れ場所を、弟御が知らぬということはないと考えられまする。且つは、もう七日も経《た》っておりますことでござりますから、本人の喬之助も、多少は安心を致しまして、築土《つくど》八|幡《まん》の自宅のほうへは、それとなしに所在を知らせておりはせぬかと、これはまあ、長庵めの推量《すいりょう》でござりまするが――」
「しかし」と、山城守は、大きな膝をゆるがせて、ちょっと長庵へ向き直った。「園絵《そのえ》のほうは、かなりに厳《きび》しくしらべを致したようじゃが、無駄《むだ》だったようじゃ」
 長庵は、小さく声を立てて笑った。
「それは、いくら園絵さまをおしらべになりましても、はじめから益ないことでござりましょう」
「うむ。何故じゃ」
「はて、殿様と致しましたことが、お気づきになりませぬかな?」
「それはどういうわけじゃな。あの出奔《しゅっぽん》中の喬之助めが、弟の琴二郎に在所《ありか》を知らせる位なら、園絵はかれが妻じゃ。好《す》いたの好《す》かれたのという新妻じゃ。まず、弟よりも妻へ報《しら》せそうなものではないか」
「さ、そこが、でございます。元旦以来これほどきびしい御詮議の眼をかすめて、今まで影さへ見せませぬ程の強《したた》か者の喬之助でござりますから、末の末まで要心をとって、弟にだけはそっと知らせても、御|新造《しんぞう》の園絵さまには――殿様、女子は口の軽いもの、秘密の守れぬものとなっております。万が一、園絵様の口からふっ[#「ふっ」に傍点]と洩《も》れはせぬか、洩れはせぬまでも、園絵様の様子で感づかれはせぬかと、そこが、あの細心な喬之助のことでござります。園絵様と琴二郎様は同じく築土八幡の屋敷に一しょにおいでなさるのでござりまするが、何かの手づるで、弟の琴二郎様へだけ内密《ないみつ》に知らせて、園絵様には、まずまず、潜伏《せんぷく》の個所は耳に入れてないのではないかと、長庵め、愚考《ぐこう》いたしまするでござりまする」
 賢《かしこ》そうに言っている。山城守は、一|応《おう》もっともというようにうなずいたのち、
「じゃが、琴二郎が知れば、あによめに話しそうなものじゃのう」
「そこがそれ、兄から固く止められておりますことで――」
「そうか。なるほどそうも考えられるのう」
「園絵様も琴二郎様も、お二人とも、もうおしらべがついて、お屋敷《やしき》へお下げになったのでござりますな」
「うむ。いくら詮議しても甲斐《かい》がないから、一応下げたのじゃ。下げておいて、それとなく厳重に眼をつけておる」
「それが一番の御|処置《しょち》でござります。では、わたくしめは琴二郎様のほうを受け持って、専心《せんしん》に眼を光らせますでござりますから、伊豆伍と筆屋のほうは、何分ともにどうぞよろしくおとり扱いを願いまする」
「ああそれは、さっき申した通り、充分に考えてはおくが、そう右から左と急には参らぬ」
 何のことか、山城守と町医長庵、しきりに話しこんでいる。

      二

 棟上《むねあ》げの式も一|段落《だんらく》ついて、出入り
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