。武士のことばだッ! 二言はないッ! 誓《ちか》うぞ壁辰どの、どうだッ? 今日のところは眼をつぶって、この拙者に無用の血を見せずに、このまま戸外《そと》へ放《はな》してくれるかッ?」
 真剣《しんけん》だ。復讐魔《ふくしゅうま》と化しさっている喬之助の一語一語が、剃刀《かみそり》のように冷たさをもって、戸を貫いて壁辰の胸を刺《さ》す。
 が、壁辰は笑い出していた。
「げッ! お前《めえ》さまの身体《からだ》にゃア八百八町の御用の眼が光っているんだ」
「存じておる。ほかの者なら頼まぬ。黒門町の壁辰と見込んですべてを打ちあけて頼んでおるのじゃ」
「煽《おだて》は利《き》かねえや。なあ神尾さま、おめえさんは、このあっしを岡っ引きと知って来なすったかね?」
「――――」
「内実《ないじつ》は、ただの左官職と思って、しばらく下塗《したぬ》り奴《やっこ》にでも化けこんで、御公儀《ごこうぎ》の眼をくらます気でか」
「それは、言うなら、そのつもりで来たのだ」
「と、飛んでもねえ。虫が好過《よす》ぎらあ――神尾さん、あんたのおかげで、罪もねえ奥様や、また弟御《おとうとご》や伊豆伍夫婦まで召し捕られて強《き》つい御|詮議《せんぎ》の憂目《うきめ》を見ていなさるのを、あんたは、まさか御存じねえわけではありますめえ――悪いことは言わねえ。何にも言わずに、このおやじの顔を立てて下せえ。そりゃアお手当てになりゃア、切腹か打ち首か、あんたのお命《いのち》は無えものだが、あっしも、黒門町と言われる男だ。しが[#「しが」に傍点]ねえ渡世《とせい》こそしているが、あんたのお繩を最後に、立派に十手を返上して――頭を丸めやす。へえ、坊主になって、一生あなた様の後生《ごしょう》をおとむらい申しやす。どうか、どうか――神尾さま、観念して、このおやじに縛らせて下せえまし――」
 うウむ!――と、鉄より強い情《じょう》の金《かな》しばりだ。神尾喬之助の唸《うな》り声を耳にすると、台所の片|隅《すみ》にうずくまって、さっきからこの問答を聞いていたお妙が、このとき、わッ! と哭《な》き伏《ふ》したのだった。

      六

「やかましいぞ。お妙《たえ》! 汝《われ》ア何も、泣くこたアねえじゃねえか」
 と、はじめて娘の存在に気がついて、そっちを振り向いた壁辰は、こうお妙を叱《しか》りつけながら、そのくせ自分も、は
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