陽気《ようき》に聞えて来ていた。
長者町の筆屋の店頭《みせさき》は、さすが町内第一の豪家《ごうか》の棟上げだけあって、往来も出来ないほど、一ぱいの人集《ひとだか》りだ。紅白《こうはく》の小さな鏡餅を撒《ま》く。小粒を紙にひねったのをまく。慾の皮の突っ張ったのが総出で、それを拾おうというのである。
二階の足場に、三|宝《ぼう》を抱えて立ち上った出入りの棟梁《とうりょう》が、わし掴みに、下を眼がけてバラバラッ! とやるごとに、群集は、押す、蹴《け》る、潜《くぐ》る――果ては、女子供が踏まれて泣き叫ぶ。他町の者の顔が見えるといって喧嘩がはじまる。いやどうも、大変な騒《さわ》ぎだ。
檐《のき》には、四寸の角材《かくざい》に、上下に三本ずつ墨黒ぐろと太い線を引いた棒が、うやうやしく立てかけてある。棟上げの縁起《えんぎ》物だ。まん中に白紙を巻いてしめ[#「しめ」に傍点]繩を張り、祝儀《しゅうぎ》の水引きが結んである。そのほか、この角材には、色んなものがぶら下っているのだ。まず、鏡、櫛《くし》、笄《こうがい》、かもじなど。それに、黒、緑、赤、黄と、四色の木綿片《もめんぎれ》が、初荷の馬の飾りのように、物ものしく垂れさがっている。現代《いま》でも、田舎などではどうかすると見かけることがあるが、悠長《ゆうちょう》な江戸時代には、こんなことをばかにやかましく言って、厳重に守ったものだ。
裏手はまた職人たちで押すな押すなだ。土間《どま》にずらり[#「ずらり」に傍点]と祝い酒の鏡を抜いて、柄杓《ひしゃく》が添えてある。煮締めの大皿、強飯《こわめし》のお櫃《はち》が並んでる。下戸《げこ》には餅だ。飲むは食うは大さわぎで、やがて銘々土産の折りをぶら下げて口々に大旦那の幸兵衛に挨拶しながら帰って行く。
広い台所に立って、一々応対をしている六十余りの禿茶瓶《はげちゃびん》が、その筆屋幸兵衛だ。首の廻りに茶色の絹を巻いて、今日だけは奥と台所をいったり来たり、一人で采配《さいはい》を揮《ふる》ってる。息子の幸吉は、三十近い、色の生《なま》っ白《ちろ》い優男《やさおとこ》である。父親《おやじ》の命令《いいつけ》を取り次いで、大勢の下女下男に雑用の下知を下しながら仔猫のように跳《と》び廻っていた。
「どうも若旦那のお酌は恐れ入りやす。いえもう、遠慮なく頂きやした――おや、これはこれは大旦那様、こ
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