さまだと、にっこりして、
「いらっしゃい。喧嘩? うちの人は居ませんよ」
 戸塚の三次は、何も言わずにズイとはいりこんで、パラリ、手拭を取りながら、そいつを肩《かた》へ載《の》っけて、じろりとお妙を見た。
 ちょいと凄味《すごみ》を見せようというつもりらしい。勝手に上《あが》り框《がまち》へ腰を下ろして、精《せい》ぜい苦味走って控えながら、
「仁儀てえところだが、まま御めんなせえよ――ところで、姐御、れこ[#「れこ」に傍点]は居ねエッてったね?」
 三次は、拇指《おやゆび》を出して見せた。変なやつだと思いながら、お絃がヒョイとお妙を見ると、悪者と言ったのは此男《これ》のことなのだろうとすぐ気がついたほど、お妙は、真青になって、木の葉が風に吹かれるようにふるえているのだ。
 知らずのお絃は、素早く客の正体を掴《つか》んで一時に強く出た。
「うちの人はいないけど、お前さんなんかに舐《な》められアしないよ。何の用だい」
「何の用? テッ! 何の用もかんの用もあるけえ」お絃のかげに隠れるように、土間の隅に小さくなっているお妙へ顎《あご》をしゃくって、「これア何家《どこ》の娘だ、何家の。え?」
 弱いほうに味方するこころ、お妙のために口をきいてやろうという気がすわって、知らずのお絃は、ソロソロ性得《もちまえ》の鉄火肌《てっかはだ》を見せ出した。上りくちにしゃがんで、膝に頬杖をつきながら、切れの長い眼に険《けん》を持たせて、ジーッ! 三次を見つめた。
「どこの娘? どこの娘だっていいじゃないか。知りあいの家の娘さんさ。大きにお世話だよ。お前こそ、どこの人だい。江戸じゃアあんまり見かけない鬼瓦《おにがわら》だねえ」
「何を吐《ぬ》かしゃアがる。知りえいの家の娘もねえものだ。これアおいらの妹、おいらアこれのお兄様《あにいさま》なんだ。いいか、わかったか。わかったら、つれて行くぞ。文句はあるめえナ」
「飛んでもない!」お妙が、お絃のうしろから、恐怖におののく声で、「兄だの、妹だのと、みんなうそでございます。わたくし、そんな方にお眼に掛ったこともございません」
「ソレソレ、それがお前の病《やまい》というものだ」三次は、ちょっと優しい眼になって、お妙のほうへ擦り寄りそうにしながら、「アア情ねえ。なさけねえ。いくら狂っているからって、現在てめえの兄貴ともあろうものを見忘れるなんて――」
 
前へ 次へ
全154ページ中137ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング