なん》ごと――!」
「あアン! 何が障子じゃ? 年は老《と》りとうない。魚が泡《あぶく》を吐《は》いとるようで、さっぱり聞えぬ。何じゃイ、あアン?」
 近藤相模守は、どこまでも金《かな》つんぼを装《よそお》って、両手を耳のうしろへ立てて、せかせかと膝を進めた。
 またちょっと、シインと座が白《しら》け渡っている。

      二

 中の間である。
 大目附お目附の詰所で、太い柱が立っている。片方は二間二枚のお杉戸、この一枚はしじゅう開いていたもので、縁のそとは箒目《ほうきめ》をみせたお庭土、ずウッと眼路《めじ》はるかにお芝生がつづいて、木石《ぼくせき》の配合面白く、秋ながら、外光にはまだ残暑をしのばせる激しいものがある。さんさんと霧雨のような陽が降って、遠くは、枝振りの変った松の若木が、一色ずつうすく、霞んで見えるのだ。
 まことに結構な眺《なが》め……。
 その結構な眺めを前に、いまこの中の間に寄合っている重役の方々は、大目附|近藤相模守《こんどうさがみのかみ》をはじめ、久世大和守《くぜやまとのかみ》、牧野備中守、岩城播磨守《いわきはりまのかみ》、お側御用《そばごよう》お取次《とりつぎ》水野出羽守、それに、若年寄の加納|遠江守《とおとうみのかみ》、米倉丹後守、安藤対馬守《あんどうつしまのかみ》、太田若狭守《おおたわかさのかみ》、それからこの平淡路守と脇坂山城守……謂《い》わば、まず閣議である。
 その閣議の席に、喬之助のほうは埓《らち》が開《あ》きそうもないので、一まず閉門を許された脇坂山城が出て来て、開口一番、いきなり伊豆屋伍兵衛の油御用のことを言い出して、さきほどから、一同の苦笑を買うまでに、クドクド申し述べているのである。
 油にしろ、蝋燭にしろ、お城御用には相違ないが、いうまでもなく雑用である。もっとも、毎夜毎夜大広間お廊下、お部屋お部屋へ立てつらねる燭台の油なのだから、一年二年と通算すればかなりの金額には上るけれど、それも何も、こんな席で論議さるべき問題では、勿論《もとより》ない。一同が、山城なにを言う。喬之助事件で長の閉門、気が顛倒《てんとう》いたし、いささか頭の調子が狂っているのではないかしら――と、真面目に相手にすることも出来ないといったように、みな擽《くすぐ》ったいような顔を見合って、山城守にばかり口を利かせて黙《だま》りこんでいると、要する
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