たちと斬り結んでいるのだ」
 車之助も、負けていない。負けてはいられない。現に、いま眼前に、喬之助がいるのだから……。
「何をいうとは何だ! お手前は夢でも見ているのであろう。喬之助はここにいるぞ。みんなこっちへ来い。一ぺんに遣《や》っつけて終おう!」
「馬鹿を申せ。貴様こそ夢を見ているのじゃろう。喬之助はこっちにおる。ほらほら、彦十郎を相手に刃を合わせておる。みんなこっちへ来いッ! 一|遍《ぺん》に掛って遣っつけてしまおう」
 同じことを言って叫び合いながら、二手に分れて乱闘に移ったのだが、こうなると、ふたり一緒にこの長岡頼母の屋敷へ斬り込んでいる神尾喬之助と茨右近、どっちが喬之助でどっちが右近だか、見たところ全く同じなのだから、作者にもちょっと区別がつかない。

      六

 その、作者にもちょっと区別のつかない烏羽玉《うばたま》の闇黒《やみ》……。
 夜だ。
 神田だ。帯屋小路だ。人影だ。人影は、女だ。女は、下谷黒門町壁辰の娘、お妙だった。
 そのお妙が……。
 闇黒《やみ》だった。
 周囲も闇黒だったし、心も闇黒だった。心のやみ、若い女の心の闇黒――と言えば、それは、恋以外の何ものかであり得るだろうか。
 お妙は、あの職人姿で飛び込んで来て、自分が捨身《すてみ》のたんか[#「たんか」に傍点]で父壁辰の十手から救った喬之助を、忘れようとして忘れられないのだった。その喬之助は、あの夜長谷川町の金山寺屋の親分が、間違いでか好意でか――お妙はそれを、故意、しかも金山寺屋さんの好意と解していたが――喧嘩渡世の茨右近と言いくるめてくれたばっかりに、あぶないところを助かって、今はその喧嘩渡世に身を寄せ、ひたすら十七の首を列《なら》べるべく、復讐に余念ないのだが――その一|轍心《てつしん》のすがたを見るにつけ、お妙は、そうして物事に精魂を打ち込む殿方のお心もちを、頼《たの》もしい、尊いと思わなければならないと自分に言い聞かせながらも、内心、犇々《ひしひし》と淋しい気もちに包まれていくのを、どうすることも出来なかった。
 喬さまは、じぶんのことなど何とも思ってはいらっしゃらないのだ。喬さまには、御番衆の首を落して廻ること以外、何の生き甲斐も、何のたのしみも、おありになりはしないのだ。いや、そうではない。
 喬さまは、十七の最後の方の首を落したのち、世に隠れて、再びあの奥
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