とかものを言われいッ!」
 今にも掴《つか》みかからんばかりである。
 両御番に三種ある。請取《うけとり》御番、昼御番、夕御番の三組である。請取御番は早朝に出役《しゅつやく》して前夜当番の者から御番を受け取る。昼御番は、老中若年寄の登城前に出頭し、夕御番というのはつまり当直で、申刻《ななつどき》に出仕して朝請取御番が来るまで城中に詰め切るのである。一番すべて六人から出来ていて、交代に廻り持つのだが、戸部近江之介は組与頭である。番士の組替、御番の配列等をどうにでも決めることが出来る。その近江之介が喬之助に含むところがあるのだ。喬之助の知らないうちに番を切りかえておいたり、報《しら》せるべきことをわざと報せなかったり、いろいろ不都合が生じて、そのたびに喬之助が満座《まんざ》のなかで辱《はず》かしめられて来たのは、むしろ当然と言ってもよかった。してみると、何もこの日の成行きとのみ言わず、こういうことは、早晩《そうばん》何らかの形で現われなければならなかったのかも知れない。
 とにかく、神尾喬之助は、顔や姿に似げなく、神経の太い青年である。今のように、多勢の前で五月蠅《うるさ》く喧嘩を売られれば売られるほど、喬之助は、自分でも不思議なほど冷静になっていくのだった。で、全然《ぜんぜん》べつのことを考えながら、ただ手を突いて下を向いていたのである。
 その様子は、凄いような美男だけに、不貞《ふて》くされているようにも見えたに相違ない。ことに、喬之助が虚心流《きょしんりゅう》の達剣であるということを誰も知らなかったのが、間違いの因だった。
「何とか言えッ! 卑怯者ッ! 口が利けぬかッ?」
 近江之介は、口びるを白くして詰め寄った。
「泣きよる」
 池上新六郎が喬之助を顎でしゃくった。
「古老《ころう》に向って応答《こたえ》一つ致さぬとは――ウヌ、どうしてくれよう!」
「まあま、当人は泣きよる」
「なに、泣いておる?」
 見ると、なるほど、ひれ伏している裃の肩が、小さくふるえている。
「ほう、人形でも涙をこぼすかな」
「面白い、見てやれ!」
「そうじゃ、引き上げて、顔を見い!」
「構わぬから髷《まげ》を掴《つか》んで引き起すのじゃ」
 手を伸ばして、喬之助の頭髪《かみのけ》を握《にぎ》ったのは、大迫玄蕃だった。ぐいと力をこめて、ひっ張り上げた。
 くッくッくッ、というような声が、喬
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