こらで根から抜いて土のついてる六尺ほどの若木を獲物《えもの》に渡り合うのにも、その疾風迅雷的《しっぷうじんらいてき》なのにかなり悩まされたのみか、そればかりではなく、女遊人《おんなあそびにん》みたいなのが一枚加わっていて、こいつがまた剣輪に包囲されながら、石を投げる、土をぶつける、恐ろしく邪魔になって犇《ひし》めくばかりでそのうちに一人ふたり、味方の中から喬之助の手に掛る者が出て来る。夜が明ければ五月蠅《うるさ》いと焦立《いらだ》っているところへ、騒ぎを聞いて駈けつけて来た御用提灯の灯が点々と――これは、それとなく喧嘩を割って、喬之助を救おうという、金山寺屋音松の率《ひき》いる手勢《てぜい》であった。
金山寺屋音松、何が故に外ながら喬之助を援助するがごとき態度に出るのか、あの壁辰の家で、与力満谷剣之助の前でわざと喬之助を喧嘩渡世の茨右近と見誤《みあやま》り、そこへ匿《かくま》えと言わんばかりに教えたのも、この日本橋長谷川町の岡っ引き金山寺屋の音松ではなかったか。
その朝の富士見の馬場でも。
五十七人で三人を持て余しているところへ捕吏《とりて》の一隊が現れたので、これ幸いと、鏡丹波などが駈け寄って、
「おう、よい所へ来た、吾《わ》れわれは、芝の道場の者だが、あそこに喬之助がおる。元番士の神尾喬之助――いま発見《みつ》けてそのほうらのため召し捕ってやろうとしておったところだが、ちょうど、われわれも手を貸すから早く掛るがよい」
早速|訴人《そにん》と出掛けると、聞えない振りをした金山寺屋、大声に喚《わめ》いたのだった。
「ただ今、南町奉行大岡越前守様が、朝のお馬馴《うまな》らしに、当馬場へ御試乗《ごしじょう》にならせられます。さあ、引いたり引いたり! 喧嘩は両成敗《りょうせいばい》! お奉行様のお眼にとまらぬうちに、どっちも引き上げ! 引き上げ! わっし共は、そのお固めに参ったものでごぜえます」
機転だ。出たらめだ。肝腎《かんじん》の大岡様は、朝がお早い。この時はもうとっくに床を離れて、外桜田のお屋敷で、こんな騒ぎは少しも御存じなく、きちんと坐られて余念なく朝の御書見をしていたが、大岡様! という名を聞いては、天童利根太郎も鏡丹波も、どっちかというと煙たいほうだ。サッと潮が退くように引き上げたので、喬之助の三人組も、急いでその場を立ち去る。帰りがけに、遠くで、喬
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