戸一の美女に二十五万両の身代が随《つ》いているのである。自薦《じせん》他薦《たせん》の養子の候補者は、選《よ》りどり見どりだが、苦労を知らない大家《たいけ》の次男三男を養子に貰ったところで、よくいう、初代が『初松魚《はつがつお》伊勢屋の前をすぐ通り』二代目へ来て『二代目の伊勢屋の前に初松魚』、三代目となると『売家と唐様《からよう》で書く三代目』という川柳の通りに、悪くすると家の落目《おちめ》を招くにきまっている。それよりは、お店の番頭の中からでも見どころのある男を選んで、それに他家《ほか》から嫁を貰い、夫婦養子をしたほうがよくはなかろうかと、伍兵衛は、女房のおこよとも相談してそうすることに決心した。そして、どうせお園を手離《てばな》すなら、何の誰それと人にも言えるお武士《さむらい》の許へ嫁にやろうとなって、伊豆伍は、西丸御書院番頭の脇坂山城守の屋敷へ出入りしているのを幸い、親しく山城守に目通りを願ってこの儀を頼み込んだのだった。
町人とは言え、富豪である。それに、お園の名は武家社会へさえ知れ渡っているから、酔狂《すいきょう》に引き請《う》けた山城守だったが、伝手《つて》を求めて申し込んで来る若侍の多いのに、却って山城守が当惑したくらいだった。しかし、結局、もっとも熱心な二人が篩《ふる》い落されておしまいまで競争した末、近頃になって勝負はついたのである。戸部近江之介は役は上だが、年が寄り過ぎている。そこへいくと、神尾喬之助は、若いことも若いし、第一、家柄がいい。が、先ず何と言っても、お園が江戸一の美女なら、西丸御書院番の神尾喬之助は江戸一の、いや、ことによると日本一の美男であろう。そのことは、娘のお園より先に伊豆伍夫婦が惚《ほ》れ込んでしまったのでもわかる。
似合いの夫婦だ。内裏雛《だいりびな》だというので、美しいものを二つ並べる興味に、親達のほうが騒ぎ出した。もっとも、喬之助には琴二郎という小さな弟があるきりで両親はないのだから、親たちといっても伊豆屋の方だけだが、当人同士が恋い焦《こが》れていたことは、言うまでもない。山城守としては、近江之介に眼をかけているので、この婚儀にはあまり進まない様子だったが、先に立って反対すべきことでもないから、伊豆伍に頼まれるまま、部下の御家人で那見《なみ》市右衛門という老人を仮親《かりおや》に立て、名を園絵と改めさせて、牛込築土
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