城からお呼び出しが来て、お油の御用一切をあらためて申し付かることであろうと、毎日こころ待ちにしているのだが――。
 鼻薬《はなぐすり》として筆幸から山城守へ届けられた金は、途中、長庵の手で半分くすね[#「くすね」に傍点]られて、肝腎《かんじん》の山城守のふところへは、半金しかはいっていないのだから、山城守は内心、筆屋はけち[#「けち」に傍点]なやつだと思っている。おまけに今度は、幸吉の訴人《そにん》の件で、山城守は八丁堀へ顔向けが出来なくなったから、どうも筆屋は怪《け》しからぬという印象《いんしょう》を与えて、この話も、筆屋が楽観しているほどは、スラスラと運びそうもないのである。
 あまり長庵が、筆幸のことを五月蠅《うるさ》く頼み込むので――もっとも長庵としては、このはなしが成り立てば、いずれ筆屋から、たんまりお礼を貰う約束があるからだが――山城守は交換的《こうかんてき》に、長庵じしんに、一つの仕事を命じたのだった。
 それがうまくいったら、筆屋の油御用のほうも、奔走《ほんそう》して纏《まと》めてやろう――そうは言わないが、いわなくても解っている。山城守と長庵のあいだの、言外《げんがい》の交換条件であった。
 それは、喬之助の弟琴二郎をおびき出して、責めるなり欺《だま》すなり、そこらは長庵の手腕《うで》だが、とにかく何とかして、兄喬之助の潜伏《せんぷく》個所を吐き出させること。それだった。

      七

 あっさりお受けして、御前を退《さが》った長庵だったが、考えてみると、そんなことで真面目《まじめ》に働くことはない。根が荒っぽい大悪党の長庵である。機を見て、その琴二郎を引き出し、スッパリ殺してしまえば、それでいいのだ。責めているうちに、意気地《いくじ》のないやつで、落ちてしまいましたと言えば、山城守のほうは済むのである。第一、琴二郎なんかという青二才が生きているから、自分が、こんな厄介《やっかい》な用事を言いつかったりする。殺してしまえば、それきりなのだ。そうだ、琴二郎を殺したうえで、あれほどお城の番士たちに騒がれて、こんな事件を起したほどの、美人番付の横綱、喬之助の妻園絵、いや、伊豆屋のお園である。琴二郎さえ亡くしてしまえば、良人《おっと》の喬之助は、行方《ゆくえ》不明のお尋ね者で、うっかり出て来られないのだから、何とかして、一度でも園絵をわが有《もの》に
前へ 次へ
全154ページ中59ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング