申し上げます――ですけれど、大次郎様、この新しいつづら笠、いいえ、今夜これからこの闇黒《やみ》の中を、夜みちをかけて、三里もある、三国ヶ嶽へお登りにならなければならないとおっしゃって、その理由《わけ》はまだ、ちっともお説き明かし下さらないではございませんか。」
心配気に額部《ひたい》を曇らせて、千浪がそっと、戸外《そと》のやみに眼を配るとき、風は、いつの間にか烈しくなっていて――ぱら、ぱら、ぱらと屋根を打つ飛礫《つぶて》のような雨の一つ、ふたつ。
どうやらお山荒れは、免《まぬか》れないらしい。
階下《した》の座敷の放歌《ほうか》乱舞《らんぶ》は、夜ふけの静けさとともに高まって、まるで、藤屋を買いきったような騒ぎである。
「先刻《さっき》の話、な、大次郎。」法外先生が、膝を進めて、「そちとその二人――つまり三人が、七年目ごとにこの三国ヶ嶽の頂上で落ち合おうという約束、あのことも千浪に語って聞かせい。」
「力――世の中は力であるということを、私は田万里の滅亡を前にして、つくづく考えさせられたのです。」
とすぐ大次郎は、誰にともなく口をひらいた。
千浪は大きく頷首《うなず》いて、髪から、簪《かんざし》を抜き取った。そして、大次郎の口もとから眼を離さずに、横ざまに片手をさし伸べて、行燈《あんどん》の灯立《ほた》ちを均《な》らした。
執念三羽烏
七年前、田万里が亡んだ時、伴大次郎は二十歳《はたち》だった。
同じ人間でありながら、大名であるがゆえに、力を有《も》っているがために、すべての悪虐非行を押しとおしてゆく――そのありさまを眼《ま》のあたりに見て、彼は、力だ! 力こそ万事を決定すると、若いこころにつよく、深く感じるところあったというのだ。
「力さえあれば、早い話が、出羽守に一矢《いっし》報《むく》いようと思えば、それもできるかもしれない。いや、これは、かりのはなしですが、世間は、力以外にはなにものもないと――。」
「話しちゅうだが。」と法外が、
「その、出羽に一矢報いようというのは、本心ではないのかな。」
と声を低めて、
「大次郎、ここには、この弓削法外と千浪のほか、誰もおらぬ。打ち明けても仔細ないぞ。」
大次郎の眼に、異常な光りがきていた。
「は、姉の行方を捜し、祖父江出羽殿のお命をお狙い申しております。」
「よく申した。七年前に出府入門以来のそちの稽古ぶりを見て、わしはとうから、これは何ごとか大望あって剣を励《はげ》むものと、この眼で睨んでおったぞ。」
千浪も、私語《ささや》くように、
「それでこそ――でも、相手は一藩のあるじ、なみたいていのことでは――。」
と、そう思うと、早くもその小さな胸は、夫ときめた大次郎の身を案じ、もう、潰《つい》えんばかりなのだった。
きっと、形をあらためた大次郎、法外先生に向って、
「しかし、この復讐の儀につきましては、その方策、進行の模様など、いずれとも今しばらくは、不問に付しおかれますよう――。」
「解った。時機の来るまで、何も訊くまい。」法外老人は、千浪へ鋭く、
「そちも、このことは忘れるのだぞ、大次郎のために。よいか。」
「はい。でも、心でそっとお案じ申すことだけは、お許し――。」
「いや、それもならぬ。と言うたところで、これは野暮と申すものかの。ははははは、どうじゃ、大次。」
赧く笑った大次郎、
「これはどうも――ははは。」
真顔に返って、
「目下《いま》はひたすら、剣技をみがきます一心――。」
「そのこと! わしも外《よそ》ながら出羽の動静を――いや、言わぬというて、また――続けい話を。」
姉を拉《らっ》し去り、父を殺され、母を自害させた祖父江出羽守を、大次郎が秘かに仇とつけ狙うのに、不思議はなかった。
が、かたきを持つ身が、師の娘を恋し、養子に入り、養父《ちち》の名を襲って道場を受け継ぐ――それでもいいものだろうか。
討っても討たれても、いずれ千浪に嘆きを見せねばならぬ。
この大望のために、道場を捨てなければならない日もくる。
それかといって、処女《おとめ》の純情と、老師の恩愛は、一片の理では断ち切れぬ。なによりも、千浪を求めて止まぬ己が恋ごころ――そこに大次郎の苦しみがあり、また、きょうまでこの秘密を、独り、胸に呑んできたわけなので。
七年前の七月七日。
田万里を散って下山する日に。
当時村内で、大次郎と一ばん仲が好く、幼いころから田万の三人組、三羽烏と言われていた三人の若者があった。
いずれも、田万の里に古い郷士の倅。
年齢《とし》も、三人ともそのとき二十歳《はたち》で。
伴大次郎。
江上佐助。
有森利七。
「三国ヶ嶽の頂上に、三国の鎮《しず》めとして三国神社というのがあります。三人|袂《たもと》をわかつ。そこの境
前へ
次へ
全47ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング