なに変りはてているばかりか、この七年間予期しつづけて来た親しみさえ、すこしも湧いてこないで、まるで、冷たい他人行儀。
 しかし大次郎は、あくまで宗七と観ず、むかしの有森利七とのみ扱おうとして、
「田万里の件――かの出羽への怨執《おんしゅう》は、よも御忘却ではあるまいな。」
 宗七はきょとんとして、
「へ?」
「煩悩が煩悩に溺れては、その煩悩の中より力を獲ることは叶《かな》わぬわけ――有森氏! 煩悩力をもって出羽を討つとの誓いはいかが召されたっ!」
 すると宗七は、何を見つけたのか、ぶらりと起ち上って、
「あ! あそこの草の中に、笠がありやす。真新しいつづら笠、雨に濡れて――。」
 大次郎も、頭《こうべ》をめぐらす。見ると、なるほど、神社の裏手の草むらのなかに、誰が置いたのか新しい葛籠笠がひとつ、そぼ降る雨を吸って、光って。
 話を打ち切った二人は、足早にその草叢へ踏み込んで行った。
 足が、濡れる。
 裾を引き上げた伴大次郎と、今は深川の恋慕流し宗七、左右から笠を挾んで立った。
 見下ろす。
「どうしてこんなところにつづら笠が――。」
 つぶやきながら、宗七が手をかけて笠を除《と》ると、下には、小石を重しに載せて一枚の紙が置いてある。
 宗七が拾い上げて、大次郎に渡した。
「はてな。何人が残しておいたものか。ことによると、佐助ではないかな――。」
 ふたつ折りの紙をひらくと、さらさらと矢立《やた》てを走らせたらしい墨のあと。
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「約束どおりこの山へ来り候えども、思う仔細ありて、両人を待たず、一足先に下山仕り候と申すは、昨夕登山のみぎり、この下の猿の湯にて、江戸|女《もの》と覚《おぼ》しき見目うるわしき女子を見初《みそ》め、この七年間、何ものにも眼をくれず、黄金のみ追い来りし文珠屋佐吉《もんじゅやさきち》。ぞっこん恋風とやらを引き申候。これより猿の湯に引き返し、強談もて娘を申し受くる所存に候。御存じのとおり、生れつき不具同然の醜面にて、おなごに縁うすき佐助の初恋。ゆめお嗤《わら》い下さるまじく、いずれは再び七年後に、この山頂にて御面談仕るべく、まずは一筆、こころの急《せ》くまましるし残し申候。
           江上佐助あらため、
                文珠屋 佐吉」
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 大次郎、手がふるえて、紙が、かさかさ
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