ですけれどねえ、旦那、つまらない約束をしたばかりに、えらい目にあいやしたよ。途中でずっと降られどおしで、へへへへへ、御らんのとおり、ずぶ濡れの、ぬれ鼠の、濡れ仏ってんで。」
大次郎は、はっとしたように、利七を見直した。
たしかに利七には相違ないが、語調といい、顔つきといい、七年間の遊蕩《ゆうとう》に崩れきったらしい安芸人肌――きっとした大次郎の視線を受けても、利七は平気の平左で、がさがさと笹を鳴らして上って来ると、自分から先に中央の三角石の前へ行って、ばらり、裾を下ろして蹲踞《しゃが》みこんだ。葛籠笠をぽんと、傍らの地上へ投げ出して。
「おおしんど! なんてえことを、上方女なら、言うところでげす。さあ旦那、めえりやした。宗七はお約束どおり、立派に山へめえりやした。煮るなと焼くなと、わちきゃお前の心まかせじゃわいのう――とおいでなさいましたかね。」
三角石に腰かけた大次郎は、呆れて相手を見下ろして、
「有森! 七年目だな。」
「へ? なるほど。ここで会うたが七年目、覚悟はよいか、でんでんでん――こりゃあ太棹《ふとざお》で、へへへへへ。」
「利七、真面目に話そうではないか。」
「利七? ははあ! 有森利七でげすかい。厭ですよ旦那、旦那もお人が悪い。そりゃあ昔のことで、今じゃ宗七――。」
「宗七?」
「へえ。れんぼ流しの宗七さんで。どうぞ御ひいきに――。」
「ふん!」大次郎は不愉快気に顔をしかめて、「変えたのは、名前だけではないようだな。貴公、心の芯《しん》から変ったようだな。」
利七の宗七は、そぼ降る小雨のなかで、ぽんと一つ額部を叩いて、
「そ、そりゃ旦那、旦那の前ですが、女から女への七年間、いいかげん変りもしましょうさ。有森利七なんてえ野暮仁《やぼじん》は、もう、とっくのむかし死んだんで、ここにこうしておりますのは、吉原《なか》から遠く深川《たつみ》へかけて、おんなの子を泣かせる恋慕流しの宗七さま、へへへへへ。」
「見上げたものだ。」ふっと眼を外らした大次郎、「江上はいかがいたしたのであろう。あの佐助が、きょうの会合を忘れるはずはないが――。」
と言った顔には、遣り場のない淋しさが、大きく描かれてあった。
草の文
「さようでげすな。」
宗七は軽薄な表情で、わざとらしくそこらを見まわしながら、
「あの江上の先生が、今日という日をすっぽかすわきゃ
前へ
次へ
全93ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング