墟があるので。
灰色の雲の去来。それが、起伏する連峰をひと刷《は》けに押し包んで、山肌に、ところどころ陽が照っている――明方の日照り雨。
雨は、まだ降っているのだ。お山荒れは、どうやら納まったらしいが、こまかい糠雨《ぬかあめ》が、山をひとつに抱いて、しとしと、しとしと、と。
それに、時どき、風さえ横なぐりに――神社のまえの三角地の中央に、高さ一尺ほどの三角形の石が立っている。
三国ヶ嶽国境の石なので、三角の面に、それぞれの方角へ向けて甲斐の国、するがの国、相模の国と彫ってある。
いつの時代、何人の置いたものか、石は、千古の三国荒れに揉まれ抜いて三角の角は摩滅《まめつ》し、青苔が蒸して、彫ってある文字も定かではないが、三つの国は三つの線を描いて、この石のところで出合っているわけ。
お社の、格子づくりの扉をぴったり閉じ、奉納の絵馬の一つふたつ――黙念として春風秋雨の七年間、この今朝の三人の会合を待っていたかのように。
約束の場所である。伴大次郎と、江上佐助と有森利七と。
起誓の三角石である。七年前に別れる時も、大次郎はこの石に腰うちかけて若い二人の友と話し込んだものだった。銘めい葛籠笠を引きつけて――。
自然は、変らない。人事は走馬燈のように、あわただしく移りかわるが。
七年の歳月は、当年二十歳の三人を二十七にし、伴大次郎を法外流の名誉、下谷の小鬼に変えた。そして今は、あの、この三里下の山腹、あみだ沢の藤屋に自分の帰りを待ち焦れているであろう千浪様というものを有つ身である。
だが。
変らないのは、石と木と草と、神社だけではない。
大次郎もあのときと同じに、この国標の三角石に腰を据えて――七年のあいだ、ちっとも変らなかった景色に見える。
待っているのだ。煩悩の他のふたつ、金と女を追って七年。前に下山した佐助と利七を――。
来るかな? と思う。
来る! くるにきまっている!
と大次郎が、小雨を相手に独り言を洩らした時、勘治村《かんじむら》、道士川《どうしがわ》と越えてくる甲斐すじの登り口から、りょうりょうと一節の、何の煩悩もないような今時花恋慕流《いまはやりれんぼなが》しの唄声が、上がって来た。
[#ここから1字下げ]
「君は五月雨《さみだれ》
思わせぶりや
いとど焦るる
身は浮き舟の――。」
[#ここで字下げ終わり]
お
前へ
次へ
全93ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング