誰か。」
「――――」
「番頭か、酒を持ってまいったのか。」
「へえ、さようで。」佐吉が答える。「お酒を持ってまいりましたんで。」
「うむ、待っていたぞ。」
さっと両方から、佐吉と大次郎が二枚の障子に手を掛けて左右へ開く。
床柱を背に、胡坐をかいた出羽と、縁に立った大次郎と佐吉と、六つの眼がぴたと合った。
気を失った千浪は、美しい人形のように座敷の隅に俯伏したまま動かない。この酔美人を肴に一献傾けようとしていた出羽守は、思いきや自分と同じ服装《つくり》の白の弥四郎頭巾が、ぬっくとそこに立ちはだかっているので、大刀を膝に引き寄せるが早いか、じりっと膝の向《むき》を大次郎の方へ寄せて、声は、冷たい笑いを含んでいた。
「何じゃ、その装《よそお》いは、わしの真似をして茶番でもしようというのか。」
「そちこそ何者じゃ。」
大次郎はそう鋭く呼びかけながら、ずかりと部屋へはいって来た。そして、腰の女髪兼安の柄に手を掛けながら、頭巾のなかの眼を怒らせて、出羽守を睨み下ろした。
「お前はいったい何者だ。何のために余と同じ服装をして、こうして江戸の町を彷徨しておるのか。余が誰であるか、そちは存じておるのか。」
この大次郎の言葉に、祖父江出羽守は度胆を抜かれて、
「な、な、何だと? 貴様こそおれの真似をして――。」
「黙れっ!」
大次郎が叫んでいた。
「余は祖父江出羽守であるぞ。……遠州相良の城主、この祖父江出羽守と同一の服装をいたすとは、怪しからん奴――。」
そばに立っている文珠屋佐吉が、にやにやして両方を見較べたが、大次、なかなかうまいことを言うと思いながら、しかし心中には、一脈の疑惑を持ったので、こっちこそ本当の出羽守で、千浪を連れて泊り込んでいるほうが、伴大次郎なのかもしれないと、先刻大次の顔を見て、一緒に連れだってここへ来たのだから、万々そんなことはないけれど、だが、こうして見ると、まったくどっちがどっちともわからないのだ。佐吉としてはとっさに、こんな疑問が湧こうというもの。
驚いたのは出羽守である。
「ややっ! 余の名を騙《かた》るとは、不屈千万なやつ。余こそ遠州相良の祖父江出羽であるぞ。」
叫ぶより早く大刀片手に、すっと起ち上がっていたが、これだけ聞けばもう用はない。この出羽守の口から、一度名乗らせようとの魂胆だったのだから。
「うむ!」
と頭巾のなかで
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