まがりくねった赤松が一本、落ちかけた陽に、うすい影を畳に這わせている。
 文珠屋佐吉は、長火鉢のまえの座蒲団へ、どっかりと坐り、
「弱気になった――。」
 と出しぬけに言って、与助の顔を見て笑った。
「商売のほうは、どうかな与助どん。」
 が、それよりも与助は、今の佐吉のことばが気になる態《てい》で、
「弱気になったとおっしゃって、何か――。」
「うん。おれの高札が立ったよ、煩悩小僧お尋ねの――あは、ははははは。」
 旅籠屋の番頭というのは仮りの面で、剛腹無二、剣の鋭い与助は、あの由公とともに佐吉の左右の腕なのだ。
 文珠屋佐吉こと、じつは煩悩小僧の口から、自分の高札が立ったと聞いた与助は苦笑しながら、
 それでも、あたふたとあたりを見廻して低声になり、
「お声が高い! へへへへへ、そんなことを今さら気にかけるなんて、なるほど、これでみると親分も、よっぽど気が弱くおなんなすった。情ねえ。商売のほうは――とおっしゃるのは?」
「いや、高札などが押っ立って見ると、おいらも盗人は嫌になったよ。これからは、宿屋稼業に力を入れて、と思うのだが。」
「ふうむ、はあてね。」と与助は、ふかく腕を拱《こまね》いて、「そりゃあ親分、本心でござんすかえ。」
「うむ。まあ、本心と思ってもらいてえ。おいらも、本心と思いてえのだが――。」
「へへへへ、なあに、そう弱っ腰になった理由《わけ》は、じぶんの高札を見て浅ましい気におなんなすった――というんじゃあござんすめえ。一つ、この与助が卦《け》を置いて、図星を当ててみやしょうか。」
「それも面白かろう――。」
 と、佐吉は、しきりに何かほかのことを考えている顔で、
「じゃあ、おいらは別に思惑《おもわく》があって、この煩悩小僧が嫌になったとでも言うのかえ。」
「女でがしょう、親分。」
 与助は、ずかりと言って、膝を進めた。
「おんなだよ。親分。隠しなさんな。何もきょう始まったこっちゃあねえ。山から帰ってから、親分は夜の稼ぎに身が入らずに、昼も、まるで腑が抜けたように考えこんでばっかり、青息吐息――十八島田の恋わずらいじゃアあるめえし、人は知らねえが、ぼんのう小僧ともあろうものが見ていて、あっしゃあ小じれってえよ親分。」

   江戸の巻――奇術駕籠《てじなかご》――

     お山土産

「面目ねえ。女だ。が、笑ってくれるな。」と文珠屋佐吉は、自
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