と言いかけた常吉の言葉を取って、
「何ぞほかに自滅の因《もと》と思い当たるような筋合いはありませんかね。頭《かしら》はこの家とは別して近しく出入していたようだが。」
 と藤吉は眠そうに装って相手の顔色を窺った。
「さあ――。」と常吉は頭を掻いた。
「なにしろ、お内儀《かみ》さんが三年前の秋に先立ってからというものは、旦那も焼きが廻ったかして、商売の方も思わしくなく内証もなかなか苦しいようでしたよ。が、こんな死様《しにざま》をしなけりゃならねえ理由《わけ》も――あったようにゃあ思われねえが――いやこうと言っちゃなんだが、例の、そら、奥州路の探しものにさっぱり当たりがつかねえので、旦那もしじゅうそれが白髪《しらが》の種だと言い言いしていましたがね。」
 藤吉は聞耳を立てた。
「それが、その奥州路の探し物ってなあ何だね。まさか、飛んだ白石噺《しろいしばなし》の仇打ちという時代めいた話でもあるめえ。」
「すると、まだ親分は徳松さんの一件を御存じねえと言うんですかい。」
 と常吉は呆れて見せた。
「初耳ですね。」と藤吉は嘯《うそぶ》いた。
「いったいその徳松さんてのはどこのどなたですい?」
「話せば永いことながら――。」
 根が呑気な常吉はこうした場合にもこんなことを言いながら、少し調子づいて藤吉の顔を見詰めた。それを遮るように藤吉は手を振った。
「ま、後から聞きやしょう。死人《しびと》を前に置いて因果話《いんがばなし》もぞっ[#「ぞっ」に傍点]としねえ。それより――おい、彦。」
 と、彼は傍に立っている彦兵衛を返り見た。
「お前《めえ》ちょっとここへ上って、仏を下ろしてくんねえ。御検視が見えるまでぶら[#「ぶら」に傍点]下げておくがものもあるめえよ。」
 言いながら屍骸の真下にある宇治の茶箱を顎で指した。恐らくこれを台にして死の首途《かどで》へ上ったらしいその空箱が、この場合そのまますぐ役に立つのであった。
 無言のまま彦兵衛は箱の上に立って、両手を綱の結び目へ掛けた。二、三歩後へ退って二人はそれを見上げていた。力を込めているらしいものの、綱はなかなか解けなかった。屍体の両脚を横抱きにして、藤吉は下からそっ[#「そっ」に傍点]と持ち上げてやった。死人の顔と摺れ合って、油気のない頭髪が額へかかってくるのをうるさそうにかきのけながら、彦兵衛は不服らしく言った。
「畜生、なんてまた堅えたま[#「たま」に傍点]を拵えたもんだろう。」
 その時だった。
「解けねえか。よし、糸玉《たま》の上から切ってしまえ。」
 と、藤吉の言葉の終らない内に大きな音を立てて、箱が毀れると、痩せた彦兵衛の身体が火箸のように二人の足許へ転がり落ちた。思わず手を離した藤吉の鼻さきで、あたかも冷笑するかのように、縊死人の身体が小さく揺れた。箱の破片《こわれ》を手にしながら、異常に光る視線を藤吉は、今起き上って来た彦兵衛へ向けた。
「吹けば飛ぶような手前《てめえ》の重さで毀れる箱が、どうしてこの大男の足場になったろう。しかも呼吸が停まるまでにゃ、大分箱の上でじたばた[#「じたばた」に傍点]したはずだが――。」
「自滅じゃねえぜ、親分。」
 と言う彦兵衛を、
「やかましいやい。」
 ときめつけておいて藤吉は、
「今見たようなわけで、わしにはちっ[#「ちっ」に傍点]とばかし合点の行かねえところがある。旦那方が来ちゃ面倒だ。頭《かしら》、梯子を持って来て屍骸《しげえ》を下ろしておくんなせえ。なに、綱は上の方から引っ切ったってかまうもんか。それから、彦、なにを手前はぼやぼやしてやがる。この置場の入口を少し嗅《け》えで見て、その足でお店《たな》の奉公人たちを一人残らず洗って来い。」

      三

 店の者は大番頭の喜兵衛以下飯焚きの老爺まで全部で十四人の大家内だった。が、彦兵衛の調査《しらべ》によると、その内一人として怪しい顔は見当らなかった。薄く地面を覆った雪のためと、それをあわてて踏み躙《にじ》った諸人の足跡のために、置場の入口からもなんの目星い手掛りも得られなかった。
「旦那方、御苦労さまでごぜえます。」
 折柄来合わせた町奉行の同心の下役にこう挨拶すると、頭の常吉を土蔵の前へ呼び出して、藤吉は改めて、徳松一件の続きへ耳を傾けた。
 二十何年か前のことだった。そのころの下町の大店なぞによくある話で、女房のおさえが病身なままに、主人の撰十は小間使のお冬に手をつけて、徳松という男の子を生ませたのであった。なにがしかの手切金を持たせて、母子もろともお冬の実家奥州仙台は石の巻へ帰したのだったが、それからというもの、雨につけ風につけ、老いたる撰十の思い出すのはその徳松の生立ちであった。ただ一代で具足町の名物とまで、店が売り出してくるにつれ、妻の子種のないところからいっそうこ
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