の不幸な息子のことが偲ばれるのであった。この徳村撰十という人物は、ただの商人ばかりではなく、茶の湯俳諧の道にも相当に知られていて、その方面でも広く武家屋敷や旗下の隠居所なぞへ顔を出していた。彼のこの趣味も元来《もともと》好きな道とは言いながら寄る年浪に跡目もなく、若いころの一粒種は行方知れず、ことに三年前に女房《つれあい》に別れてからというものは、店の用事はほとんど大番頭の喜兵衛に任せきっていたので、ただこの世の味気なさを忘れようとする一つのよすがにしていたらしいとのことだった。だが、これだけの理由で、このごろは内輪が苦しいとはいうものの、この大店の主人が、書遺き一つ残さずに首を縊ろうとはどうしても思えなかった。
「それで、その、なんですかい。」と藤吉は常吉の話のすむのを待って口を入れた。
「その徳松さんとかってえ子供衆は、今だに行方《ゆきがた》知れずなんですかい。」
「子供と言ったところで、いまごろはあの荷方の仙太郎さんくらいに――。」
 と答えようとする常吉を無視して、ちょうどそこへ水を汲みに来た女中の傍へ、藤吉は足早に進み寄って何ごとか訊ねていたが小声で彦兵衛を呼んでその耳へ吹き込んだ。
「おい、一っ走り馬喰町の吉野屋まで行って、清二郎という越後の上布屋《じょうふや》を突き留めて来てくれ。」
 頷首いた彦兵衛の姿が、台所の薄暗がりを通して戸外《おもて》の方へ消えてしまうと、置場へ引っ返して来た藤吉は、検視の役人へ声を掛けた。
「旦那、こりゃあどうも質《たち》のよくねえ狂言ですぜ。とにかくこの自滅にゃあ不審がありやすから、すこし詮議をさせていただきやしょう。」
「そうか、おれもなんだか怪しいと思っていたところだ。」
 と鬚のあとの青々とした若い組下の同心が、負けない気らしく少し反り返って答えた。
「手間は取りませんよ。なに、今すぐ眼鼻をつけて御覧に入れます。」
 苦々しそうにこう言い切ると、そのまま藤吉は店へ上り込んで、茶室めいた奥座敷へ通ずる濡縁の端へ、大番頭の喜兵衛を呼び出した。二本棒のころからこの年齢《とし》まで、死んだ撰十の下に働いて来たという四十がらみの前掛けは、いかにも苦労人めいた態度《ものごし》で、藤吉の問いに対していちいちはっきりと受け答えをしていた。昨日、三年振りで越後の上布屋清二郎がお店へ顔を見せたということは、さっき女中の話でもわかっていた
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