あれが見えませんね。」
 話声を背後《うしろ》に聞いて、藤吉は四、五間離れた河岸、しだれ柳の下へ出た。彦兵衛が追って来て、耳近く囁く。
「天誅とは大上段、やっぱり、武士《りゃんこ》てえお見込みで?」
「まあ、そこいらよなあ。」
 藤吉は微笑んだ。が、眼だけは笑いに加わらなかった。笑わないどころか、眈々《たんたん》としてあたりを睨《ね》め廻していた。
 柳の根方に草が折れ敷いて、地に丸く跡を見せている――いかにも人が腰を下ろしていたような、と、その手前の土には、待つ間の徒然《すさび》に手だけが動いて、知らず識らず同じ個処を何度も掻いたような三角の図形《えがた》。そこからは丘の裾を越しておもての通りも窺われる。雨に首垂れた鬼百合の花が、さもここだけを所得顔に一面に咲き乱れていた。
「彦、この百合を一つ残らず引っ捩《ちぎ》って河へ叩っ込め。」
 藤吉、変なことを言う。彦はぽかん[#「ぽかん」に傍点]として藤吉の顔を見た。
「えこう、早くしろ!」厳命だ。不審《いぶかし》みながらも彦兵衛、嫌応はない、百合を折っては河へ捨てた。
 黒い水に白い大輪が浮んで、つぎつぎに流れて行った。
 百合の花がす
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