「あい来た!」
 ひらり引っ外した勘次の頭を掠めて、白魚屋敷の練塀に真一文字、微塵《みじん》に砕けた傘は、それなりいもりのように貼りついて落ちもしなければ、動きもしない。蒼白い稲妻に照らし出されて刹那に消える家並みの姿、普段見慣れている町だけに、それはげに高熱の幻に浮ぶ水底地獄の絵巻そのまま。
 桐油合羽でしっくり[#「しっくり」に傍点]提灯を包んだ葬式彦兵衛、滝なす地流れを蹴立てつつ、甚右衛門の導くがままに真福寺橋を渡り切って大富町の通りへ出た。電光《いなびかり》のたびにちらり[#「ちらり」に傍点]と見える甚右衛門の影と、互いに前後に呼び合う声とを頼りに、八丁堀合点長屋を先刻出た藤吉勘次彦兵衛の三人は、風と雨と神鳴りとが三拍子揃って狂う丑満《うしみつ》の夜陰《やみ》を衝いて、いま大富町から本田主膳正御上屋敷の横を、媾曳橋《あいびきばし》へと急いでいる。
 天地の終りもかくやとばかり、もの凄い暴風雨の夜。
 はじめ、甚右衛門に随いて戸外へ出た時、親分乾児は一つになって庇い合いながら道路を拾ったのだったが、そのうちまず第一に藤吉と勘次の提灯が吹き消される、傘は持って行かれる、間もなく三人
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