額でも山という名をつけたがるのが万事《よろず》に大袈裟な江戸者の癖で、御他聞に洩れず半ば塵埃《ごみ》捨場のこの小丘も、どうやら見ようによってはそうも見えるというので、一般には木槌山《さいづちやま》として通っていた。
ここへ差しかかった土佐犬甚右衛門、背ろの三人を呼ぶように、さてはまた誰かに合図でもするかのように、一声高だかと遠吠えしたかと思うと、木槌の柄を作《な》して二、三間突き出ている土手の蔭へ走り込んだ。すると、草の間に提灯の灯が動いて、しゃがんでいたらしい人影が、すっくと起ち立った。闇黒に染む濡れた光りの中央に、頤《あご》から上を照されて奇《あや》しく隈《くま》取った佐平次の顔が、赤く小さく浮かび出た。その顔が、掌を口辺へ輪筒《わづつ》にして、けたたましく呼ばわっていた。
「釘抜の衆けえ。ここ、ここ、ここでがすよ。俺あ何です、痺《しび》れを切らして待ってやしたがね、まま何せかにせ、ど[#「ど」に傍点]えれえ騒ぎ――ようこそお早く――へえ。え? いや、実はね、あっしが甚右を使えに出したんで――お寝入りしなをなんともはや――だが、こりゃあ途方もねえことが起りましたよ。さ、ここです。ちょいとこちらへ――。」
二
八丁堀海老床の露地の奥、気の早い江戸っ児のなかでもいなせ[#「いなせ」に傍点]を誇る連中が集っている合点長屋、その一棟に朱総《しゅぶさ》を預る名代の岡っ引釘抜藤吉、乾児勘弁勘次に葬式彦兵衛、この三人が今夜の暴風雨を衝いて犬を追い慕って張出し埋地は木槌山まで出向いて来たについては、そこにただならぬ曰くがあるはず。ほかでもない――。
あれで、九つ近かったか、それとも廻っていたか。
御用筋が閑散《ひま》なのでいつものとおり海老床の梳場《すきば》で晩くまでとぐろ[#「とぐろ」に傍点]を巻いていた三人が、さすがにもう莫迦話にも飽きが来て巣へ帰ってほどないころ、勘次は親分の床を敷き、彦は何かぶつぶつ[#「ぶつぶつ」に傍点]口の中で呟きながら表の板戸を閉《た》てようとしていた時、その彦兵衛の足を掬《すく》わん許りに突然《いきなり》一匹の大きな四つ足が飛び込んで来た。見ると、よくこの界隈にもうろついている土佐犬で、飼主の佐平次は毒にも薬にもならない鋳掛け屋渡世の小堅人だが、どうしてどうして犬だけは大したもの、提灯に釣鐘じゃ、いや猫に小判じゃ、などとも
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