のお天気が儲けものでさあ。町内の繰り出しとなるときまって降りやがるのが、今年あどうしたもんか、この日和《ひより》だ。こりゃたしかにどっかのてるてる坊主がきいたんだとあっしゃあ白眼《にら》んでいますのさ。十軒店の御連中は四つ前の寅の日にわあ[#「わあ」に傍点]ってんで出かけやしたがね、お台場へ行き着くころにゃ、土砂降りになってたってまさあ――ねえ、親方、今日はいよいよ掃部《かもん》さまが御大老になるってえ噂じゃありませんか。」
「うん。」
半分眠りながら藤吉は口の中で相槌を打っていた。安政五年の四月の二十三日は、暦を束にして先に剥《はが》したような麗かな陽気だった。こう世の中が騒がしくなってきても、年中行事の遊ぶことだけは何をおいても欠かさないのが、そのころの江戸の人の心意気だった。で、海老床の若い者や藤吉部屋の勘弁勘次や、例の近江屋の隠居なぞが世話人株で、合点長屋を中心に大供子供を駆り集め遅蒔《おそま》きながら、吉例により今日は品川へ潮干狩りにと洒落こんだのである。時候のかわり目に当てられたと言って、葬式《とむらい》彦兵衛は朝から夜着を被って、黄表紙を読みよみ生葱《なまねぎ》をかじっていた。気分が悪くなると葱をかじり出すのがこの男の癖なのである。だからせっかく髪床へ顔を出しても、今日は将棋の相手も見つからないので、手持ち無沙汰に藤吉が控えているところへ、
「親分一つ当りやしょう――大分お月代《さかやき》が延びやしたぜ。なんぼなんでもそれじゃお色気がなさ過ぎますよ。」
と親方の甚八が声を掛けたのだった。ぽん[#「ぽん」に傍点]と吸いさしの煙管を叩いて、藤吉は素直に前へ廻ったのだったが、実は始めから眠るつもりだったのである。
「こうまであぶ[#「あぶ」に傍点]れるとわかっていりゃあ、あっしも店を締まって押し出すんだった。これでも生物ですからね、稀《たま》にゃあ商売を忘れて騒がねえとやりきれませんや。」
「まったくよなあ。」
と藤吉はしんみりして言ったが、しばらくして、
「十軒店の人形市はどうだったい?」
「からきし[#「からきし」に傍点]駄目だってまさあ、昨日清水屋のお店の人が見えて、そ言ってましたよ、なんでも世間様がこう今日日のように荒っぽく気が立って来ちゃあ昔の習慣《しきたり》なんかだんだん振り向きもしなくなるんだって――そりゃあそうでしょうよ、あああ、いやだ
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